日刊スポーツのニュースサイト、ニッカンスポーツ・コムです。

アニメ・ゲームコラム

GCCX菅Pコラム 50歳AD@笑いの現場

GCCX菅Pコラム 50歳AD@笑いの現場

1964年生まれ。「ゲームセンターCX」プロデューサー。「vs嵐」ディレクター。「秘密のケンミンSHOW」ではフロアでカンペも出す現役最年長AD。過去には「4時ですよ~だ」「冒冒グラフ」「タモリ倶楽部」etc.バラエティー番組を中心に約4,000本を担当。 映画「風花」「血と骨」のメイキングも。

阪神大震災(2)

[2016年9月27日19時44分]

  • TL
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

 1995年1月17日。阪神大震災が起きた次の日からMBSの報道局に呼ばれた。

 「報道の人間が全員現場で取材しているのでD卓に座って欲しい」

 報道の経験はなくてもシステムディレクターなので大丈夫だと。説明しておくとシステムDは内容や演出には口を出さず与えられた進行通りに進めていく人。段取りを理解して業務的に動ければ問題ない。出来るかどうか…ではなくともかくやるしかない。隣にはベテランTKの高島女史もついてくれた。

 想像を超えた非常事態…おそらくテレビ局もどう報じていいか分からないまま手探りで始まった。地震時のマニュアルはあったのだろうが家屋の倒壊、火事など現在進行形で災害が進んでいる。その中で何を報じるのか?常に報道すべき最優先を模索しながら上層部はジャッジしていた。その心労は相当だったはず。

 MBSの系列であるTBSはセンセーショナルな映像を求めてくる。これも分かる。痛いほど分かる。しかし地元はライフライン(この言葉はこの時生まれた)を必要としている。僕も含めて誰もが阪神間に仲間や知り合いがいて…ヘリから映される変わり果てた街並みには目を背けたくなるが…でも報道業を続けなければならない。スタッフ皆がテレビマンと個人の葛藤を抱えながら働いていた。

 24時間ずーっと震災報道。東京ではCMが入るが大阪では入らない。なのでその番組と番組の間にライフライン情報を入れることにした。東京で普通にCMが流れる時間に関西では切羽詰まったライフライン…。東京と神戸の狭間で感じるジレンマが大阪にはあった。

 D卓の僕と高島さんは休みなくひたすら番組をこなしていく。[こなす]何というイヤな響きだろうか。でも感情を殺して粛々とこなさないと続けられないのだ。

 「次、東灘から中継入ります」

 「その後に予定変更して神戸市役所の会見!」

 「ヘリ中継入れないと燃料持たないよ~」

 「TBSが夜の特番を3時間に出来ないかって」

 「そんなん無茶やで!!」

 調整室に飛び交う怒号や叱咤。テロップやナレーション原稿も絶対に間違えられない。普段ゲラゲラ笑いながら楽しい番組しか作ってこなかった人間にとって本当にキツかった…。ただ今は笑いは必要とされていない。緊急事態の中で少しでも役に立てるのなら何でもやりたかったのです。

 朝から夜まで報道局に詰めて→夜は仮眠。3日間大小含めて30番組ほど担当しました。そして4日目の朝にようやく帰宅。夕方まで寝ていたところをオカンに起こされたのです。

 「田中さんが来てる…有名人の田中さんがっ!」

 何を言ってるのかよく分からない。興奮するオカンと下に降りてみるとそこに確かに有名人!

 田中康夫。

 そうあの「なんとなくクリスタル」の田中康夫さんが我が家の玄関に立っていました。

 「えっ?どういうこと?」

 実は震災直後MBSの田中Pから連絡を受けてました。

 「大阪ですぐに乗れる原付バイクを探している人がいるのだが、確かお前の隣バイク屋だったな?」

 他ならぬ田中Pからの指令ですから絶対です。隣のバイク屋に相談したら僕の名義ならすぐに登録できるとのこと。バタバタしていたのでその旨を田中Pに伝え、後はバイク屋さんと直接やってもらって大丈夫ですよと答えました。その僕のバイクを使ってボランティア活動をしていたのはあの田中康夫だったのです。

 「菅さん、はじめまして~田中康夫です」

 政治活動の第一歩かも知れない阪神大震災でのボランティア活動…その足となる原付バイクは僕がお貸ししていたのです。田中Pが東京で田中康夫さんと一緒に仕事をしていた関係で繋がった不思議な縁でした。

  • TL

GCCX菅Pコラム 50歳AD@笑いの現場の最新記事

Ads by GooglePR

アニメ・ゲーム最新ニュース

見られたのは300人中140人のプレミアム試写会

アニメ・ゲームランキング

記事

もっと見る 閉じる
ページTOPへ