東京6大学野球リーグの立大で監督を務め、長嶋茂雄巨人終身名誉監督らを指導した砂押邦信(すなおし・くにのぶ)氏が18日午後9時30分、腎臓がんのため川崎市宮前区の聖マリアンナ医大病院で死去した。87歳。同氏は茨城県出身で、水戸商業学校(現水戸商高)から立大に進み、50年に27歳で監督に就任。53年春に20年ぶりのリーグ優勝に導くと、54年には「立教の三羽ガラス」と呼ばれ、のちにプロ野球で活躍した長嶋、杉浦忠、本屋敷錦吾の3氏が入学。厳しい指導で黄金時代の礎をつくった。

 代名詞といえる「月夜の千本ノック」では、長嶋氏を徹底的に鍛え上げた。月明かりだけが頼りの夜空の下、石灰を塗り付けたボールを打ち続け、名手の基礎をたたき込んだのは有名なエピソード。砂押氏も「あの男と出会えたことが私の野球人生で一番の幸せ」と認めたように、巨人入団後も助言を求められるなど、強い師弟関係にあった。

 砂押氏は55年に立大監督を退任すると、61年から2シーズン、プロ野球の国鉄(現ヤクルト)監督を務めた。61年には3位で球団創設12年目で初のAクラス入りを果たし、65年にもシーズン途中から再度指揮を執った。

 巨人長嶋終身名誉監督の話

 立教に入学したころ、練習終了後に毎晩ノックを受け、バットを振らされたことは忘れられません。つらい練習でしたが、そのおかげで私の野球は基礎が固まり、プロでやっていく自信がつきました。私の野球人生において、砂押監督はとても大きな師でした。訃報(ふほう)に触れ、ただただ悲しく、寂しくてなりません。ご冥福を心よりお祈りいたします。