6日夕刻、西武第2球場。今季から西武の打撃投手を務める小川武志さんは、室内練習場でネットに向かってボールを投げていた。

 春季キャンプ中に制球を乱し、腕が振れなくなった。1軍の打撃練習のマウンドから離れ、こうしてひとりで再調整を続けてきた。

 2カ月近くかけ、少しずつスムーズに投げられるようになってきた。蒸し暑い室内で、額の汗をぬぐっていると「ちょっとええか」と声をかけられた。

 マシン打撃をしていた西武栗山巧外野手(33)だった。デーゲームの楽天戦に先発していた栗山だが、試合終了後に室内練習場を訪れ、ひとりで練習をしていた。

 1時間以上も打ち続けてようやくマシンのスイッチを切り、ボールを集めながら汗をぬぐっていた。それが思い立ったように小川さんの“練習相手”のネットの前に立ち、すっと打撃の構えを取った。

 投球を促している。手に汗がにじんだ。打撃投手転向1年目。制球を乱す以前も、チームの主軸たる栗山の打撃投手を任されたことはない。それがいきなり、こんな場で相対するとは。

 目の前の栗山は試合の時と同じルーティーンを終え、すでに打席の中で目を光らせている。やるしかない。意を決し、小川さんはかたわらのかごから、ボールを取りだした。

 緊張からか、最初は球が高く浮いた。しかし栗山は意に介さず、グッと右足を踏み込んでくる。そして何も言わず、静かにうなずいている。小川さんは徐々に、リラックスして腕が振れるようになった。

 ひとかご近くを投げたころ、栗山は「よし、ありがとう。ええ目慣らしになった」と軽く頭を下げた。「こちらこそ、ありがとうございます」と声を張ると「なにいうてんねん、これはオレの練習やで」と笑って肩をたたいてきた。

 序盤の荒れた投球に対し、少しでも怖がるそぶりをみせられれば、小川さんは「当てたらまずい」と腕が振れなくなっただろう。

 栗山はあえてヘルメットもかぶらず、防具の類もしていなかった。それでも、どこまでも自然に、打席に立っていた。だからこそ、小川さんも腕が振れた。

 「本当に自信になりました。投げられるようになったかと思えば、またダメになる。ここまでずっとその繰り返しでした。でもあの時、僕は栗山さん相手でも、しっかり腕が振れたんです。心の支えになります」

 きっとそのために、栗山は自分の前に現れたのだろう。そう思った。もう1度礼を言おうとした時、すでに栗山の背中は遠くなっていた。


 ◇   ◇


 栗山は恐れを知らない。

 売り出し中だった頃、ある外国人投手から頭部に死球を受けたことがあった。

 しかし、次の対戦の初球、栗山はホームベースに足がかからんばかりの勢いで、高めの速球に対してグッと踏み込んだ。

 その外国人投手は、思わず天を仰いだ。そして周囲に「あいつは恐怖心がないのか。どうかしてるぞ」とこぼしたという。

 「打席は勝負の場ですから。あいつは怖がってるなんて思われたら、そこにつけこまれてしまうんです。だから思いっきり、踏み込んでやりました」

 そうやって、勝負の世界を生きてきた。しかし今季、そんな栗山が「うまく避けられればよかった」と振り返るプレーがあった。

 4月8日ソフトバンク戦。5回裏2死走者なしの場面で、栗山は遊ゴロを打った。

 開幕から好調が続いていた。第1打席では本塁打も放っていた。この打席は打球が野手の正面を突いたが、当たりはよかった。

 その分、簡単にアウトになるタイミングだった。それでも栗山は全力で一塁に駆け込んだ。その時、予想しないことが起きた。

 一塁を駆け抜ける走者は、ベースの右端を踏む。一塁手が左端を踏みながら、送球を受けるからだ。

 だがその瞬間、ベースの右端に、一塁手内川の右足が伸びてきた。そのまま走れば、相手のアキレス腱(けん)付近を踏む。そうなれば確実に大けがになる。

 栗山は内川の足を踏まぬよう、とっさに右に身体を投げ出した。右足が不自然にねじれた。それだけでは済まず、勢い余って身体が宙で1回転した。

 右肩から頭にかけての当たりから、地面にたたきつけられた。痛がるというより、もうろうとした様子で、何とか立ち上がった。



 ◇   ◇


 それでも、栗山はプレーを続行した。試合後も「大丈夫です」とだけ話した。

 翌日からも先発を続けた。しかし14日ロッテ戦、4回裏の守りから退いた。ZOZOマリンスタジアムの三塁側ベンチ裏には、右ふくらはぎをアイシングしながら、悔しげにうつむく姿があった。

 試合後、報道陣には「自己管理が足りなかった。それに尽きます」とだけ話した。だが西武の試合をきちんと見続けている番記者なら、誰もがソフトバンク戦の転倒の影響と分かった。

 診断は、右ふくらはぎの炎症。指名打者として先発に復帰するまで、3週間近くを要した。

 復帰後、負傷について再度聞いてみた。栗山はやはり「ケガはすべて自分の責任。それ以上、話すことはないです」と首を振った。

 しかし、去り際に1つだけ付け加えた。

 「ソフトバンク戦のプレーは、プロとして反省すべきかもしれないとは思っています。ケガのリスクがあるプレーなら、うまく避けられればよかった」


 ◇   ◇


 意外だった。

 思わず「あれは全力で走ったからこその交錯。全力プレーは、いいことではないのか」と問い直した。

 栗山は「確かに全力でやるのがプロ。ただ、何に向かって全力を尽くすべきなのか。そこが大事なんです」と切り出した。

 「高校生や大学生、社会人のように、あの試合が一発勝負で、すべてを懸けなければいけないなら、あの全力疾走でよかった。でも僕らプロは違う。明日も、明後日も、ずっと試合は続くんです」

 たとえアウトのタイミングでも、全力で一塁に駆け込む姿に、記者はプロ意識を見て取った。しかし、栗山の考える「プロ意識」自体が、まったく違った。

 「試合のたび、僕らのプレーを楽しみに、スタジアムに来てくれるファンのみなさんがいる。その方々の期待に応えるため、明日も試合に出られる選択肢をとる。プロはそこにこそ、全力を尽くすべきだと思う」

 もしかしたら「あいつは一塁の手前でスピードを緩めた。怠慢プレーだ」と批判されるかもしれない。相手が送球をミスする可能性もある。

 それでもプロなら一塁を駆け抜ける寸前まで、必死に考えを巡らすべきと栗山は言う。完全にアウトになるタイミングかどうかを見極める。そしてスピードを緩め、危険を回避するという判断を下す。

 今日もそう。明日もそうだ。スタジアムには、二度と再来場できないファンもいるかもしれない。

 だからこそプロはいつの試合でも、できる限りのプレーをしなければならない。そのために「全力プレー」と「ケガの回避」という、二律背反の中でいつも悩み続ける。

 プロとファンは、一期一会。そんな考えの延長線上に、今季達成した1500試合出場という節目の記録があった。


 ◇   ◇


 13日現在、栗山はいまだ左翼の守りについたり、全力で走塁することはできない。それでも「プロですから、試合には出ないと」と言う。9日の日本ハム戦では、負傷後初の本塁打も放ち、ファンを喜ばせた。

 そんな中、試合前の練習では、二塁、三塁へのスライディング練習を毎日繰り返している。「いずれ全力で走る時が来る。その時に、ひとつでも先の塁を狙いつつも、ケガのリスクを避けられるように」と言う。

 プレーボール直前にスライディング練習をする選手は、少なくとも西武には他にいない。まるで高校球児のようの、ユニホームを土まみれにして、栗山はベンチに引き揚げてくる。

 「反省して、うまくなる。まだまだ、その繰り返しですよ」。

 屈託のない笑顔でうなずくと、汚れたユニホームを替えに、ロッカールームに引き揚げる。そして注文のつけどころのない完璧な着こなしで、試合に備える。

 今日もファンが、プロのプレーを待っている。【西武担当=塩畑大輔】