ちょうど1年前の2017年1月16日。今月4日に死去した星野仙一さんと都内で食事をした。

 野球殿堂入りの表彰と懇親会が終わった帰りしな、あいさつをした。同僚の古川記者と、楽天担当でずいぶんお世話になった。会場は人がたくさんいたので「せっかくだから最後にひと言」と2人で待った。

 エレベーターから黒いボルサリーノのハットをかぶった大柄な男が1人、のっしと降りてきた。元気よく「監督~おめでとうございます!」と声をかけた。星野さんは、のんきな2人を見て一気に緊張が緩んだ様子だった。なぜか「お前ら…」と笑って「めし、食おう。原稿が終わったら一緒に来い。連絡しろ」と言った。急いで原稿を終え、行きつけのすし店で落ち合った。

 ゆっくりすしをつまみながらの言葉が、メモ書きに残っている。

 「オレのことはもう、どうでもいい。でも殿堂入りの仕組みを、もう少し何とかできないものか。今回も故人が2人いらっしゃった。亡くなってからでは意味がないとは言わないが、入ってしかるべき人であるならば、何とか生きている間に光を当てるべきだろう。ご遺族は非常に喜んでいたが、天国の当人はもっと晴れやかなはずさ。生きている間に殿堂入りしたら、うんと喜んだと思うよ。(同じ岡山出身、明大先輩の)秋山登さんもな」

 このとき膵臓(すいぞう)がんの告知を受けていた。事情を知ってから聞くと響きが全く違ってくる。

 楽天監督1年目の11年シーズンを担当した。たった1年で東京に戻ったが、星野さんは地位や肩書に関係なく、縁を大切にしてくれる人間だった。公私を問わず、何かあったらすぐに連絡していた。

    ◇  ◇    

 【12年9月30日、WBC監督について取材した際の電話越しで】

 「(山本)浩二から直接聞いた訳じゃないが、浩二になるんじゃないの。知らんけど。お前、そんな事より、この電話を切ったらすぐ(当時の楽天担当記者だった)古川に電話しろ。オレの番号を教えて、電話させろ。全く同じことを答える。この先も同じだ。今、オレの担当記者は古川だ。アイツのメンツを考えろ。記者としてでなく、人間として言っている。お前もこれから年を取っていく。人の気持ちを考えられる人間になれ」

 【16年7月、野球・ソフトボール競技の五輪復活が確実となり、電話越しで】

 「尽力したすべての関係者に『ありがとうございます』と感謝したい。東京五輪で復帰という最高のタイミング。20年の先も野球が広く国民に愛され続けるために、球界全体をビルドアップする好機としなくてはいけない。五輪の野球競技はアマチュアに返すべきだと考えている。『子どもたちのあこがれを取り戻す』という大局観が大切だ。少年野球チームの急激な減少率から言って、野球人口の減少は少子化だけが理由ではない。引き付けてやまなかったはずの野球の魅力が、薄れてしまっているのではないか。五輪はあこがれの象徴にふさわしい」

    ◇  ◇    

 3つの言葉に共通するのは思いやりの心。成し遂げた人だから、後付けで備わったのではない。他者へのでっかい愛情がもともと備わっていた。だから世代を問わず、あれだけの人が集った。【宮下敬至】


 ◆宮下敬至(みやした・たかし)99年入社。04年の秋から野球部。担当歴は横浜(現DeNA)-巨人-楽天-巨人。16年から遊軍。