日本ハム担当記者になって、1カ月ほどが過ぎた。周囲は選手、監督やコーチ、球団関係者。記者1年目からプロ野球の取材をすることに、日々ドキドキしながら過ごしている。

 そんな現場を右往左往している中で、どうしても同い年の選手に目がいく。6月7日、2軍本拠地の千葉・鎌ケ谷での出来事。この日、日本ハムはイースタンリーグのDeNA戦を行っていた。試合終盤の8回、快音が響いた。打球は左中間スタンドに着弾する2ラン。放った打者はプロ6年目の大累進内野手だ。大累は私と同学年で90年8月生まれの27歳。プロ初本塁打と知り、すかさず試合後に話しを聞きに行く。すると「左翼手を越えたくらいかなと思った。自分でもびっくり」と笑って話してくれた。

 この時、私は甲子園出場を目指し、白球を追いかけていた青春時代を思い出した。11年前の秋のこと。高校2年だった私は、青森・弘前学院聖愛高の選手として、練習試合で大累が所属する北海道・駒大苫小牧高を訪れていた。お互いに会話をする機会はなかったが、当時途中出場していた私は、遊撃で軽快な守備を披露する大累の姿が記憶に残っていた。取材後、「担当記者になりました。よろしくお願いします。実は高校時代練習試合で対戦したことがあって」と明かす。「何校も試合をやってて…。(記憶は)なんとなく」と言いながらも、親近感を持ってくれたようで雑談に応じてくれた。

 大累の18年シーズンは2軍スタートで、今季いまだ1軍出場はなし。現在は鎌ケ谷で、若手選手とともに汗を流す。10代の選手もいる中で今やベテランの風格さえ漂うが、「プロ野球界全体では、まだまだ若手。頑張りますよ」。日本ハム担当記者になった私が、初めて鎌ケ谷へ取材に出向いた試合で、かつて同じグラウンドでプレーした同い年の選手がプロ1号を放つ。運命とは不思議なものだとしみじみ感じた。気がつけば今年で28歳。“プロ初アーチ”を描いた同い年選手に刺激をもらい、今後も取材に励みたい。【日本ハム担当 山崎純一】

 ◆山崎純一(やまざき・じゅんいち)1990年生まれ、青森県出身。プロ野球担当記者を夢見て、営業職の前会社から再就職。4月から新人記者としてスタート。5月から日本ハム担当。