阪神矢野燿大2軍監督(49)率いる2軍が22日、今季のウエスタン・リーグ優勝を果たした。スローガンの1つである「超積極野球」を軸に、シーズン勝利数の球団新記録を更新。またチームの盗塁数では、リーグ最多記録を更新するなど、快進撃をみせた。くしくも矢野監督が現役を引退した10年以来8年ぶりのリーグ制覇だ。

8年前、監督として2軍を優勝に導いたのは、平田勝男現1軍チーフ兼守備走塁コーチ(59)だ。「下柳と矢野のバッテリーだよ。いまだに覚えているよ。矢野が『緊張しましたよー』って言ってくれてさ」と当時を懐かしんだ。

10年9月25日、負ければ優勝が消滅するウエスタン・リーグの中日戦。同点にされた直後の8回1死一塁で鳴尾浜に「代打矢野」のコールが響き渡った。当時の41歳の矢野2軍監督はこの年限りで引退を表明。ケガの影響もあり、実戦としては同年5月8日広島戦(甲子園)以来140日ぶりの出場だった。優勝間近のため、直前に平田監督に出場辞退を申し出ていたという。

矢野2軍監督は当時について「最後に矢野出ろといわれて、優勝かかっているからいいですと言った。迷惑かけるのも怖かったし、俺のために出て2軍とはいえ優勝がなくなるのは嫌やった。でも使ってもらった」。

代打で出場した矢野は、中日左腕久本の低め真っすぐを捕らえ、打球は三遊間を破った。続く岡崎の勝ち越し適時打を呼びこんだ。平田コーチは代打で起用したことについて「(迷いは)なかったね。あの年は矢野も1軍での出場機会はほとんどなかった。若い選手に矢野の姿を目に焼き付けといてほしかったのもあるしな。ここまでやってきてくれたし、生で見ることに価値があるから」と明かした。

「あのとき平田さんも、ある意味思いきりというか、俺投げられなかったからさ。そんな捕手を使うというのもたぶん葛藤もあったと思うから。改めて感謝の気持ちもあるし、逆の立場になって、そういう風に思ったりもする」。

8年後の18年9月22日、選手から立場を変え、監督として「優勝」をつかみ取った。【阪神担当 古財稜明】