新たな1年が始まった。頂点を目指す各チームにおいて、鍵を握る存在となりそうな首脳陣をクローズアップする。第1回はDeNA仁志敏久2軍監督(49)。プロでは初指導となるその理念とは。

6日、ブルペンを視察するDeNA仁志2軍監督
6日、ブルペンを視察するDeNA仁志2軍監督

仁志2軍監督は1月のイースタン・リーグの監督会議後、ファーム監督としては珍しい言葉を口にした。同リーグの優勝争いに「争っているだけじゃだめ。争って勝たないと。残念でしたで終わっては何も得られない」。大概の2軍監督は「育成と勝負の両立」を目標に掲げる。近年はセ・リーグで上位進出も多いDeNAも、2軍では大洋時代の1982年(昭57)を最後に38年も優勝していない。

2軍で勝負にこだわるという、異質な方針は「誤解されやすい」という。「こちら側(首脳陣)が勝利にこだわるのではなく、選手にこだわってほしい。勝つための知恵や方法を絞り出せる選手になってほしい」が真意だ。

選手個々に合わせた1軍での起用法を想定しながら、試合に臨ませるつもりだ。「2軍だからヒッティングだけど1軍だったらお前はバントだよねという場面では、2軍でもバントをしておかないと意味がない。1軍で通用する選手をつくっていくことにならない」。緊迫した場面を経験させてから1軍へと送り込む。

U12の監督を経験したが、プロでは初の指導者となる。「ベースとなるのは木内さんの考え方」。昨年11月に死去した常総学院の元監督、木内幸男氏(享年89)を「親以上の存在」と慕った。教えられたのは準備の大切さ。「まずは考えてプレーすること。これはU12もプロも変わらない」。02年の日本シリーズなど現役時代は先回りしている特異な守備位置で、何度もピンチを救ってきた。「選手の方がベンチより勘が鋭い場合がある」。でも監督としては面白くないのでは? 「理由、信念があればいい。勘を働かせる方法を話していきたい。データに頼ってそこにいるだけではなく、打球が飛ぶ理由を含めて伝えたい」という。

現役引退後、筑波大大学院で人間総合科学研究科の修士課程を修了した。バイオメカニクス、心理学などを学んだ。16年には米大リーグ、ダイヤモンドバックスの秋季マイナーキャンプに私費留学。「あれを4、5時間もやるのは持たない」という無駄のない短時間の練習スケジュールを知った。大学院入学時からパソコンを使い始め、今では発表資料作成ソフト「パワーポイント」で自作した資料をスタッフに配布するほどの腕前。首脳陣にiPad(アイパッド)が配布されslack(ビジネスチャット)でやりとりを行うIT球団に、すんなり溶け込んでいる。【斎藤直樹】

◆仁志敏久(にし・としひさ)1971年(昭46)10月4日、茨城県古河市生まれ。常総学院-早大-日本生命を経て95年ドラフト2位で巨人に逆指名入団。96年新人王。06年オフにトレードで横浜移籍。09年退団。10年は米独立リーグでプレーも、同年6月引退。通算1587試合、1591安打、154本塁打、541打点、打率2割6分8厘。引退後は侍ジャパンU12代表監督、プレミア12日本代表で内野守備走塁コーチを担当した。