大阪桐蔭が履正社との大阪対決を制し5年ぶり2度目、夏を合わせると6度目の全国制覇を達成した。

 3月に行われたWBCでは侍ジャパンに3人の代表選手を送り出すなどプロ野球で活躍する選手も多い。なぜ大阪桐蔭は強いのか、良い選手が育つのか。西谷浩一監督(47)の指導法に注目した。

 2年前の15年1月。西谷監督は千葉・幕張で行われた「野球指導者講習会」で講演した。テーマは「指導者の役割」。約1時間、小、中、高、大、プロなども含めた指導者500人を前に熱く語った。

 西谷監督は関大を卒業すると大阪桐蔭のコーチに就任。その後29歳の時に監督に就任したがすぐには勝てなかった。

 2年目が始まるころ、星稜の山下智茂監督に飛び込みで電話をかけ練習試合を申し込んだ。山下監督は快く引き受けてくれ、西谷監督と大阪桐蔭ナインは金沢へ遠征した。

 「トイレも部室も掃除がいきとどいていた。選手1人1人の目が輝いていた」。さらにグラウンド脇の花壇に目を奪われた。美しい花が咲いていた。山下監督からは「花を育てるのって、選手を育てるのと一緒で難しいんだよ」と言われた。西谷監督は帰阪するとすぐに花の種を買いに走った。グラウンドに花壇を作り「今日から花を育てる」と張り切った。ところが、高い土や肥料を買ったのに全然、花が咲かなかったという。

 「水も肥料も一生懸命与えているのになぜ、花が咲かないのか」。その時、我にかえった。選手も同じ。自分は教えすぎているのではないか-。山下監督から大きなヒントをもらったことに気付いた。星稜のグラウンドで見た花壇がその後の指導のベースの1つになった。

 数年後、部内の暴力事件が発覚。報告が遅れたという理由で西谷監督は半年間の謹慎処分となった。その時に1冊の本に出会う。

 「コーチングという本でした。『コーチ』という言葉の語源はハンガリーの『コチ』という街で使われた4輪の馬車だそうです。大切な荷物や人を目的地まで届けるのが『コチ』の役割。自分は選手たちを目的地、つまり甲子園に導けているのか。できていない。これではダメだと。1冊読み終えて線を引いて、本屋さんに行って2~3冊別の本を買って、コーチングの講習会にも行ってみました」。

 そこで学んだのがコミュニケーションスキル。「聞き上手になろう。子供たちの話を聞こうと」。選手と30分間の個別面談や、野球ノートの提出を始めた。

 指導法が変わった。「個別が大事。教え方は1人1人違う。水たまりがある。教えるのも指導、はまるのも指導。自主性だけでもダメ。褒めて育てるというやり方もあるが、その時は良いが本当に苦しいときに自分で立ち上がれるのか。子供たちの心をどうやって動かすか。『今だ!』と思ったら練習を中止させても話をする。叱るタイミングを見逃さないことが大事」。

 指導法が固まったのが同監督によると04年ごろ。翌05年に平田、辻内らで甲子園初勝利を挙げ4強。08年夏に西谷監督が率いてから初めての全国優勝を果たすと12年春夏、14年夏、そして今春と優勝。決勝戦の白星が歴代6位の通算42勝目(8敗)となった。