6日分をまとめて更新。 

 【17日】

 現地休暇をいただく。といってもやることがないので甲子園で野球観戦。試合後は再びHさんのウイークリーマンションへ押し掛け宴会。

 【18日】

 3回戦4試合。二松学舎大付(西東京)を担当。しかし三本松(香川)に2-5で敗れた。試合後はエース市川睦投手を取材。台に登ると声を上げて泣いた。「みんなに申し訳ない。悔しいです」。今後どういう投手になりたいか聞いてみた。市川投手は「すみません。甲子園のことだけを考えてやってきたので、今はまだ分かりません」。まじめで誠実で優しい男。市原監督は「あんな優しい人間を厳しい勝負の世界に引きずり込んでしまった。よく頑張ってくれた」とねぎらっていた。

 【19日】

 3回戦4試合。花咲徳栄は同じ関東勢の前橋育英を10-4で破りベスト8入りを決めた。めでたし! 第4試合の仙台育英-大阪桐蔭が盛り上がった。0-1で迎えた9回裏、仙台育英が逆転サヨナラ勝ち。2死一、二塁から若山選手が遊ゴロ。万事休すかと思われたが遊撃手からの一塁送球を受けた一塁手の足がベースから離れておりセーフ。2死満塁から馬目選手が左中間へ逆転サヨナラ打を放った。試合後、九死に一生をえた若山選手を取材。宿舎を出る前にごみ拾いをしたそうで「運を拾いました」とラッキーボーイはうれしそうに話してくれた。  

 【20日】

 準々決勝4試合。担当チームの花咲徳栄は第4試合に登場。見事、10-1で盛岡大付を破り初の準決勝進出を決めた。2回に4番野村佑希内野手(2年)が左翼ポール際へ特大の先制本塁打。試合後は野村選手を取材した。6月中旬に初めて会って取材してから2カ月。最初は下級生の甘えん坊という印象だったが、立派な受け答えに成長を感じずにはいられない。仕事が終わり、午後9時から甲子園近くの居酒屋さんで会社の同僚とひと足早い「打ち上げ」。東北担当のK記者、さらに東京のKキャップはこの日で甲子園取材が終了。Kキャップは帰京しU-18日本代表の合宿取材、さらにはカナダでのW杯取材がある。甲子園が終わっても休む間もなく次の仕事が始まる。

 【21日】

 甲子園大会は休養日。午前10時から花咲徳栄の練習を取材。

 練習場所は京都にあるNTT淀総合運動場。そう京都競馬場があるところだ。京橋から京阪電車に乗り換え淀を目指す。枚方市で各駅停車に乗り換えるとM新聞N記者を発見。実は9時に淀駅改札で待ち合わせてタクシーに相乗りして練習場へ行く約束をしていた。おしゃべりをしているとほどなく淀に到着。9時過ぎには練習場に到着した。

 とにかく暑かった。東京は8月に入り雨が降ったり涼しい日が多いと聞いているが、こちらは連日の猛暑。東京が恋しい。

 練習は約2時間。ほとんどを打撃練習に費やした。あまりの暑さに途中、顧問の先生がスポーツドリンクを報道陣に配った。ありがとうございました。

 練習では岩井隆監督がレギュラーメンバー1人1人を呼んでトスを上げていた。同監督は「このメンバーでこうやって練習するのも今日が最後。自分のためにやりました」。選手思いの優しい監督さんである。

 取材が終わり、本紙の写真部の女性カメラマン、Sさんと一緒に帰った。Sさんは神戸三宮に宿を取っているため乗り換えなしで帰ることができるJRを希望。ということでタクシーでJR山崎駅へ。ここはサントリーの蒸留所がある場所。一瞬寄っていこうかとも思ったが、真っ昼間からウイスキーを試飲したら酔っぱらってしまいそうなのでやめた。Sさんとは仕事の話をした。カメラマンは重労働だ。炎天下の甲子園で重いカメラを持って写真を撮る。プロ野球と比べテンポが速いので大変だそうだ。ちなみに日刊スポーツでは、1日4試合の日は1人が担当するのは2試合まで。1人で4試合は無理とのことだった。宿舎に戻って原稿を書いて洗濯をして晩ご飯に串カツとすしを食べて寝た。

 【22日】

 準決勝2試合。花咲徳栄は延長11回の末、9-6で東海大菅生を破り決勝進出を決めた。試合後の取材を終え、清水投手の記事を60行出稿。急いで伊丹にある花咲徳栄の宿舎へ移動した。すでに取材は始まっていたが同僚のM記者とT記者が先に駆けつけてくれていた。岩井監督の囲み取材に途中から参加。8時過ぎに取材を終えT記者と駅近くの居酒屋さんで「串カツ」を食べて必勝祈願。埼玉県勢悲願の夏制覇なるか。