平成元年のシーズン途中にひっそり来日した外国人選手が、日本球界に強烈なインパクトを残した。オレステス・デストラーデ(56)。90、91年に本塁打と打点の2冠を獲得。秋山幸二、清原和博と「AKD砲」を形成し、西武黄金期の中核を担った。カリブの怪人と呼ばれファンに愛され、華々しく時代の扉を開けた助っ人に去来するモノは。

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89年6月に来日した当時は、メジャー経験がわずか45試合の無名だったデストラーデ。管理部長として辣腕(らつわん)を振るった根本陸夫(故人)に見初められ海を渡ると、一気にその才能を開花させた。

来日の翌月に3試合連続本塁打。2冠2度を含む3度の本塁打王。2度の打点王。巨人との90年日本シリーズでMVP。紛れもなく西武黄金期の立役者の1人だ。成功できたのはなぜか。「一生懸命、練習した。我慢した。なぜなら、成功したかったから」。キューバ出身のスイッチヒッターは新天地にかける覚悟が違った。

だから日本語も覚えた。日本語力は、プロ野球歴代の助っ人の中でもトップクラス。インタビューも、半分以上を日本語で答えた。「通訳にたくさん質問した。当時の私の日本語は完璧で、同僚とすぐに意思疎通ができてラクだった」。今年8月に来日した際には、現在西武でプレーするメヒアに、どうやって日本語を覚えたか聞かれた。「逆に彼に『勉強してないの』と聞いたら『そうです。5年目ですが』と。驚いたよ。『これは何、あれが好き』と日本語で言えることは大事だと思う」。

きまじめな一方で、明るさも同居していた。「BOOM!」と言いながら両手で大きくガッツポーズをするトレードマーク。生まれたきっかけは「90年の6月に、西武球場でサヨナラホームランを打ったときだった。思わずやったら、翌日の新聞に載った。通訳に『格好いいね』と言われ、周囲でも話題になった。もしかして、ホームランを打ったらいつもガッツポーズをすればいいんじゃないかとね」と鮮明に覚えている。

現在、米国でレイズのテレビ解説者を務め、ユーモラスなトークと旺盛なサービス精神で人気を博している。能力と性格。日本で活躍するために欠かせない資質を兼ね備えていた。

デストラーデにとって、日本での日々はかけがえのない思い出になった。86年から始まったバブル期の真っただ中。球場はどこも満員御礼でプロ野球人気は盛り上がり、経験したことのない厚遇も享受した。住まいは球場まで車で15分、電話1本でタクシーで送迎してくれ、それはすべて球団の負担だった。「日本での生活はとても良かった。大好きだったよ。今年、球団は40周年。優勝ならストーリーができる。しっかり戦って努力してほしい」。西武への愛着も変わらない。自身が一角を担った、最強のクリーンアップへの誇りも-。(敬称略=つづく)【水次祥子、古川真弥】

◆オレステス・デストラーデ 1962年5月8日、キューバ生まれ。87年にヤンキースで大リーグデビュー。パイレーツを経て89年途中に西武入団。秋山、清原と中軸を打った。92年限りで1度退団。93、94年にマーリンズでプレー後、95年に西武復帰。本塁打王3度、打点王2度、ベストナイン3度。巨人との90年日本シリーズではMVP。大リーグ通算成績は237試合、765打数184安打(打率2割4分1厘)、26本塁打、106打点。現役時代は192センチ、99キロ。右投げ両打ち。