オリックス宮内義彦オーナー(83)の登場です。1988年(昭63)に阪急ブレーブスを買収して以来、95年のリーグ優勝、96年の日本一、04年の近鉄との球団合併など「平成野球史」に欠かせない名物オーナーです。

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平成不況といわれた時代には、パ・リーグが消滅の危機に見舞われることもあった。2004年(平16)に日本のプロ野球史に残る「球界再編問題」が起きた。

オリックス・ブルーウェーブと近鉄バファローズの合併に端を発し、「1リーグ制」導入への動きが加速した。当該球団オーナーの宮内は、積極的に再編を主導した1人だ。

宮内 当時は日本経済がかなり厳しい時期で、それが再編につながったと思うんです。「セ、パ両リーグをいったん10球団にして、1リーグにしたほうがうまくいくのではないか」というのを模索した流れでした。親会社の業績が悪化し、球団を手放したい企業が出てきた。1リーグにしていくには、ちょうどいい機会だと思って動き始めたら、結果的にそうはいかなかった。

この年1月、近鉄が球団の命名権を売却することが明らかになった。それは南海、阪急に続き、鉄道会社の球団経営からの撤退を意味した。宮内は近鉄との合併を決断する。

宮内 最初に話をもっていったのは、こちらからでした。球団合併はウルトラC? そうでしょうか。合併でいこうということは、両社で早い段階で決まりました。

オリックス、近鉄の合併で、5球団になるパ・リーグでは「もう1つの合併」が進行した。巨人渡辺恒雄、西武堤義明、ロッテ重光昭夫ら、複数の大物オーナーがうごめき「1リーグ制」を画策。その間にIT企業のライブドアが近鉄買収に名乗りを上げ、選手会がストを決行するなど、球界は激しく揺らいだ。

宮内 企業というのは身の丈に合った事業しかできないわけです。12球団を連結決算すると赤字なわけで。しかし、1つだけ減らすわけにはいかないから、球界を健全な事業体質にするためにも、いったん10球団にするのがいいと考えたわけです。球団が企業の広告宣伝媒体である限り、親会社の業績に影響され、球団経営が継続できなくなるわけです。なので、選手会のスト決行は理解に苦しみました。とにかくプロ野球全体をビジネスとして成り立たせることが必要だと思ったわけです。

オリックスは、近鉄との合併を機に「大阪」「神戸」のダブルフランチャイズ制を取った。大阪ドーム(現京セラドーム大阪)を本拠とし、大阪市此花区の舞洲(まいしま)に2軍施設を建設。オリックス本体も、うめきたの開発事業や、16年から仏バンシ・エアポート社などとの連合で、大阪国際(伊丹)空港と関西国際空港の運営を開始するなど、出生の地である大阪でのビジネス拡大とともに、本格的な“大阪進出戦略”に取り組んだ。

宮内 兵庫県と大阪府とフランチャイズを併用して、いずれどちらかに決めなさいということだったが、マーケット規模からして「大阪」が空いてしまうという選択肢はない。兵庫県にはタイガースがいますしね。大阪戦略の成果? これからですね。ただし、神戸での試合もファンの支持がある限りは、続けたいと思っています。(敬称略=つづく)【寺尾博和】