2011年(平23)12月、横浜DeNAベイスターズが誕生した。オーナーに就任した春田真が高田繁GMと交わした約束は「3年でCS、5年で日本一」。そして初代監督は、元巨人の中畑清に託した。連日のように紙面を飾るキヨシ節。あらゆるメディアから注目を集めた。

南場 中畑さんが、チームが弱かったにもかかわらず、ファンを増やしてくれました。感謝してもしきれない。球団の成長の角度をつくってくれたのは中畑さん。野球というのは勝敗で評価されて、球団は入場者数、ビジネスで評価されるけど、それは間違いだと思います。

監督就任にあたって、球団からお願いしたことは2つ。1つは「情報を発信すること」。特に負けたときも同じように振る舞い、発信することを約束した。2つ目は「ファンサービス」。しかし、言うまでもなく中畑は地で率先してファンサービスをする。自らハイタッチをする姿に、三浦大輔(現投手コーチ)のようなリーダー格も続く。その姿を他の選手が見て学ぶ。

話題の提供にはこと欠かなかった。就任1年目2月の春季キャンプ2日目、中畑がインフルエンザに感染してダウン。寝込んでいると思いきや、チーム宿舎のベランダから球場に手を振る。その写真がスポーツ紙の1面を飾る。まさに体を張った発信力は、爆発的な波及効果を生んだ。

チームも着実に強化が進んだ。創設と同時にGM職に就いた高田のもと、ドラフト戦略が実を結ぶ。山崎康晃がクローザーを務め、石田健大、今永昇太、浜口遥大、東克樹と、毎年のように即戦力投手が活躍。和製大砲として4番候補だった筒香嘉智が、打撃に専念するため三塁から外野手へ転向させたのも高田の案だった。

創設5年目の16年、チームはアレックス・ラミレス監督のもと、初めてAクラス入りを果たす。観客動員も右肩上がりで上昇を続けた。人気とともに、実力をつけた結果だった。初めてのCS出場権を獲得し、高田が南場に感慨深く言った。「3年でCS、5年で日本一って春田さんと約束をした。2年遅れてしまいました」。

南場 しみじみとおっしゃったんです。これが高田さんと春田さんの絆なんだと。ずっと約束を念頭において苦労して頑張ってくださっているんだと、涙が出そうになりました。思えば高田さんという貴重な方が、経営と野球、DeNAとベイスターズをしっかり結びつけてくれた。7年目の今年、日本一にかける思いは並々ならぬものがあったと思います。(敬称略=つづく)【栗田成芳】

12年2月4日付日刊スポーツ1面
12年2月4日付日刊スポーツ1面