平成の中期以降、レガシーという言葉の解釈に幅が出てきた。「遺産」ではなく「後世まで評価されるべきモノ」に敬意を表して使う場合が増えた。キャンプも終盤、球界のレガシーを考証する。

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日本は「野球の国」ではなくなるかも知れない。本連載のタイトルにもかかわる危機感を抱くのは、今年から早大野球部監督となった小宮山悟(53)だ。

「個人的に危機的状況を感じている。近い将来、間違いなくサッカー界にやられるのではないか」

高校、大学、NPB、メジャーと、さまざまなカテゴリーでプレー。現役引退後は14年から2期4年あまり、Jリーグ理事も務めた。国、競技の枠を超えた実体験と知見を有するからこその警鐘を鳴らした。

小宮山が考える野球の“レガシー”は、まずもって高校野球だという。

「日本固有の文化だと思います。全国大会が朝から晩まで完全生中継。世界的に見ても、高校生のスポーツではあり得ない。甲子園が終わっても、3年生の進路は、となる。一年中、話題に事欠かない。プロでも、そこまではいかない。今日に至るまで、野球人気の底辺を支えている」

ところが、そこに落とし穴があったと強調する。

「高校野球人気を目の当たりにして『野球界は大丈夫』とあぐらをかき、プロでのうのうとやってきた。かたや、サッカー界は野球に追いつけ、追い越せで頑張り、今や競技人口は小学生では野球より多い時代。野球界が慌てて『ああでもない、こうでもない』となっても、カテゴリーごとの足並みがそろわない」

Jリーグ理事時代、かんかんがくがくの議論を目の当たりにした。利害の相違を乗り越え、各クラブが同じ方向へ進む。野球界にはない熱を感じた。再び五輪競技から外れた野球への危機感は当然で「アフリカなど野球の不毛地帯で、もっと普及活動を」と訴える。視線は、もっと身近なところにも向いた。

「暗黒の20年がある。小学校の授業からソフトボールがなくなった(80~01年)。今はティーボールも導入されたが、教えられる先生がいない。流れが遮断されたから。復活まで相当時間を要する」

ティーボール協会の理事でもある。時間はかかっても、また流れを作るしかない。さらに、レガシーである高校野球。昨今の大きな議案である球数制限に一家言を持つ。「早熟な子もいる。投げられる子は投げればいい」と一律の制限には否定的だ。

もし球数制限が導入されたら、投手が足りない弱小校は不利という議論には「勝つためには、投手を作ればいい。作れないなら、勝てないと割り切ればいい」と言い切った。

詰まるところ、指導者の役割がカギだと訴える。

「成長過程に合わせ、守ってあげるのが大人の仕事。選手の体力レベルを把握して、これ以上やってはいけないところを理解した上で練習、試合をさせる。高校生は『腕が折れてもいいから投げさせて下さい』と言いますよ。でも、将来を考えて無理してはいけないと諭せる指導者でないと。『お前に任せた』は、決して美談ではありません」(敬称略=この項おわり)【古川真弥】

18年12月、早大新主将の加藤外野手と握手する小宮山氏(左)
18年12月、早大新主将の加藤外野手と握手する小宮山氏(左)