日本人選手がメジャーで活躍するのが当たり前になった平成時代だが、そこに至るには先人たちの苦労があった。通訳や代理人として日米で多くの選手をサポートし、2007年(平19)に手術で男性から女性へ生まれ変わったコウタ(56=本名・石島浩太)。女優、ギタリストとしても活動する彼女の波乱の人生と日米の野球史を振り返る。

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伊良部不振の責任を取らされ、コウタは失意のうちにヤンキースを去った。フロリダ州タンパの家を引き払い、ロサンゼルスへ転居。団野村の事務所で働き始める。

野茂英雄、吉井理人、マック鈴木らをサポートしていた時だ。当時メッツのGMだったスティーブ・フィリップスから団に連絡が入る。「コウタは何してる?」。代理人業務より球団側の人間でいる方が性に合うと感じていたコウタは、1998年(平10)に同GMのオファーを受けて野茂、吉井の通訳としてメッツに入団。ニューヨークへ舞い戻った。

コウタはここでかけがえなき出会いを体験する。当時のメッツは、優秀な選手はいたがまとまりのないチーム。それまで所属した西武、ヤンキースはたとえグラウンド外で仲たがいしても、試合になれば一瞬で団結する常勝軍団だった。コウタはその落差を感じていた。

99年、メッツに欠けていた部分が1人の男によって埋まった。ホワイトソックスから移籍してきた三塁ロビン・ベンチュラ。コウタと同じくカリフォルニアで育ち、ドジャース時代には午前中に娘とサーフィンをしてから球場に来るような、地に足のついたナイスガイだった。

女性の心を持ち、精神的なつながりをより重視するコウタにとって、ベンチュラは生涯のベストフレンドの1人。「ロビンが入ってすべてが変わった。彼は『オレが、オレが』じゃない。自然体で『みんな楽しみながらやろうぜ』っていう感じなんだけど、それでチームがまとまっちゃう」。

99年のメッツ内野陣(一塁オルルド、二塁アルフォンゾ、遊撃オルドニェス、三塁ベンチュラ)は「メジャー最高の内野」としてスポーツイラストレイテッド誌の表紙を飾り、チームはナ・リーグ優勝決定戦に進出。翌00年にはもう1人のリーダー、一塁手のトッド・ジールを加えてワールドシリーズまで進んだ。

コウタとベンチュラはよくカリフォルニア独特のサーファー言葉で会話した。後に殿堂入りする通算427本塁打の捕手マイク・ピアザも同じようにしゃべったが、コウタたちは「(ペンシルベニア出身の)マイクは本当のサーフカルチャーを理解していない。彼はニセ物の丘サーファーだよ」とひそかに笑い合った。

コウタはベンチュラとジールに対し「君たちは球界最高のコンビだね」と賛辞を贈ったことがある。2人のリーダーがいたからピアザは好きなようにプレーでき、監督のボビー・バレンタインも選手をまとめるのに必要以上に苦労することはなかった。コウタにとって今でも、特にベンチュラとのやりとりは鮮明に記憶に残っている。(敬称略=つづく)【千葉修宏】

◆コウタ(本名・石島浩太)1962年(昭37)3月15日、東京生まれ。ダイエー、西武の通訳、渉外担当、ヤンキース環太平洋業務部長などを歴任。07年に性別適合手術を受け女性に。現在は女優、俳優長谷川初範のバンド「Parallel World」のギタリスト、映像配給会社で英テレビ局の日本向け担当も務める。