日本人選手がメジャーで活躍するのが当たり前になった平成時代だが、そこに至るには先人たちの苦労があった。通訳や代理人として日米で多くの選手をサポートし、2007年(平19)に手術で男性から女性へ生まれ変わったコウタ(56=本名・石島浩太)。女優、ギタリストとしても活動する彼女の波乱の人生と日米の野球史を振り返る。

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2002年(平14)のコウタは、何かに突き動かされるように奔走した。

この年から読売巨人軍の一員となり、ニューヨークのオフィスで働いていた。第一の目的は、どうやってヤンキースと巨人の業務提携を締結するか。その先にあったのは、海を渡る決意をした「ゴジラ」松井秀喜をどうやってヤンキースに入れるか、だった。

当時は文字通り朝から晩まで働いた。「朝マンハッタンのオフィスに行って、それからヤンキースタジアムやMLB事務局に行く。それを終えて自宅に戻ると、今度は東京が動きだす。24時間仕事をしているような状態だった」という。

同年オフには日米野球が開催された。バリー・ボンズ(ジャイアンツ)やジェーソン・ジアンビ(ヤンキース)ら超豪華メンバーが来日。同時期にキャッシュマンGMやレビン社長ら、ヤンキース幹部も日本へやってきた。コウタも一時帰国し、表向きは大会オーガナイザーの一員として、他方では松井とヤンキース関係者を秘密裏に会わせる役割などを果たした。

松井とともに和食店でジアンビを“接待”した際には、当初「何でも食べるよ」と言っていたジアンビが何にも箸をつけてくれず、仕方なく調理場でステーキを焼いてもらうというハプニングも起きた。

コウタは「松井くんも最初からヤンキースに入りたかったんだと思う。長嶋さんからも『行くんだったらピンストライプを着ろ』と言われていたし。彼をヤンキースに入れることは運命だったし、神様からの指令のように感じた。そんなことを思わせた選手は、いまだに松井くんしかいない」と振り返る。

ただ02年の日米野球から、04年のヤンキース日本開幕戦、そして06年のWBCへと続く激務は、コウタの心身に多大な負荷をかけた。女性的な部分を隠し、男性として生きるのはもう限界だった。すでに04年からホルモン治療は開始していたが、WBCで日本が優勝し、シャンパンファイトが行われた後、部屋に戻って鏡をのぞき込んだコウタは「いいかげん正直になろう」と性別適合手術を受ける決意をした。

ホルモン治療や手術を受けたからといって即「女性になれてうれしい」と100%の幸福感に包まれるわけではない。いったん女性ホルモンを体内に取り入れ始めると、後戻りはできない。「本当によかったのだろうか?」という葛藤もあり、トランスジェンダーの自殺率は高いという。だがコウタにとって心身ともに女性になることは、極めて自然なことだった。

「男性はリビドー(性衝動)に動かされる。女性になると全然違う。そうすると人生の観点が変わる。優しい音や美しい音を奏でたいと思ったり、だれかに響くような演技がしたい、となる」。それが「女優コウタ」誕生につながっていく。(敬称略=つづく)【千葉修宏】

◆コウタ(本名・石島浩太)1962年(昭37)3月15日、東京生まれ。ダイエー、西武の通訳、渉外担当、ヤンキース環太平洋業務部長などを歴任。07年に性別適合手術を受け女性に。現在は女優、俳優長谷川初範のバンド「Parallel World」のギタリスト、映像配給会社で英テレビ局の日本向け担当も務める。