1回目は作新学院(栃木)時代、「怪物」の異名をとった江川卓氏が登場(4月4日~19日に掲載)。これまで明かされなかった高校時代の仲間との確執や、あの豪腕をつくりあげた”特訓“秘話などを紹介。時代情景も見える連載になっています。その江川氏を取材した記者が、取材で感じたこと、また新聞には掲載できなかったエピソードなどを、ここに紹介します。


取材後記


江川卓氏
江川卓氏

 44年前の記憶を掘り起こすことって、可能なのだろうか? 今回の取材にあたってまず思い浮かんだのが、そんな疑念でした。

 でも、それは杞憂(きゆう)でした。江川氏はもちろんですが、東京近郊に住む作新学院OBたち、ライバルチームの主将やエース、取材にお邪魔した栃木県内の元球児の方々まで、みなさん生き生きと、まるで昨日のことを振り返るように話されていたのが、印象的でした。多少、記憶があいまいな部分は、それぞれが携帯やメールで横断的に情報を確認してくださり、貴重なデータの掘り起こしにもつながりました。

 そんな中で、改めて実感したのが「江川卓」の「すごみ」でした。本編には書き込めませんでしたが、3年夏の県大会、真岡工戦ではこんなこともありました。

 その試合、レギュラー捕手がけがのため、控え捕手がマスクをかぶっていました。6回のマウンドに向かう時、江川がその捕手に「次から本気で投げるぞ」と声をかけます。直後の1球。ホップする剛速球に捕手が対応仕切れず、球審のマスクを直撃。球審はむち打ち症となり、病院送りに。予備の審判が駆り出されることになったのです。このため、負傷していたレギュラー捕手に交代することになったのです。結局、江川はこの試合でも21奪三振で、無安打無得点を達成してしまいます。


「野球の国から 高校野球編」江川卓氏を4月4日~19日に掲載
「野球の国から 高校野球編」江川卓氏を4月4日~19日に掲載

 今回の取材で、江川氏とその周辺を結ぶ「糸」みたいなものが見えてきました。社交性豊かな同氏は、試合で自軍が負けると、その直後に必ず敵チームに電話を入れたり、直接練習グラウンドに姿を見せて「次も頑張れよ」と激励しています。

 それは、高校野球の現場を通じて、甲子園という共通の目標に向けて厳しい練習に明け暮れる中、「お互いに頑張ろうな」とか「いい試合ができてよかった」というアイデンティティーの確認と、メッセージだったのだろうと思うのです。

 江川氏は敵、味方を問わず、そんな「仲間たち」との会話を大事にしていました。深い親交を続けるのが、なぜか、ピッチングの際の「会話」の相手、捕手に多いことと無関係ではないでしょう。

 僕は、85年(昭60)から3年間、巨人担当でプロの江川氏を取材。その間、現役引退のドラマにも遭遇しました。残念ながら、高校時代の江川氏には触れられませんでしたが、プロにおいてもその性格は照れ屋で、常に人に気を使い、ユーモアのある、高校時代に彼と接した人たちが感じたのと同じ「匂い」のままでした。

 同氏は「よく誤解されるんだけど、オレはあまり目立つことが好きじゃない。人の上に立つことも苦手だし…」と言います。たとえ本意じゃなくても、すごみのある「江川卓」を続けるためには、憎たらしい「仮面」を、かぶり続けなければならなかった、ということでしょう。

 そして、取材を通じて、江川氏が再びその仮面を別の形でかぶる“時”を、もう1度見てみたい-。その思いを今、強くしています。【玉置肇】