さまざまな元球児の高校時代に迫る連載「追憶シリーズ」。第10弾は荒木大輔氏(53)が登場します。

 早実の1年生エースとして、1980年(昭55)夏に甲子園で準優勝すると、3年夏まで5季連続で出場を果たしました。

 1年夏の甲子園に入った直後は、駅前のドーナツ店まで散歩に出掛ける普通の高校生でした。しかし、勝ち進むにつれ、宿舎はファンに囲まれるようになりました。帰京後は自宅の電話番号を変える事態になるほどでした。

 そんな特殊な高校時代、甲子園が、荒木氏に教えてくれたものとは?

 甘いマスクで「大ちゃんフィーバー」を巻き起こした、甲子園史上最大のアイドルに迫りました。


 7月13日から23日の日刊スポーツ紙面でお楽しみください。

 ニッカン・コムでは、連載を担当した記者の「取材後記」を掲載します。

取材後記

 甲子園が生んだ最大のアイドルは誰だろうか。それぞれの時代にヒーローがいて、人気者が生まれ、歴史を積み上げてきた中で、荒木氏という答えに納得する高校野球ファンは多いのでないかと思う。

 荒木氏の名前、「大輔」は8年連続で新生児の名前ランキングで1位になった。80年生まれのソフトバンク松坂大輔も荒木氏から名前をもらった1人で、西武の投手コーチ時代は松坂を指導する縁があった。

 「よく講演とかで話をするんだけど、松坂は甲子園で11勝だから、松坂より甲子園で勝っているんだよ(12勝5敗)。だけど松坂は0敗なんだ。すごいだろ、あいつ。11勝0敗なんだよ。(98年に)春夏連覇しただけだから」

 自身の名前が、多くの人に名付けられている感覚はどういうものなのだろうか。

 荒木氏 すごい責任みたいなのは感じるよね。間違ったことできないし。野球においても変なことできない。よく松坂に言っていたのは、お前が金髪にしたりとか、ヒゲ生やしたり、シャツ出したり、しょうもないプレーしたら、大輔っていう名前も付けた人も悲しむし、子どもたちも悲しむだろうって。そういう話を、よくしたことがある。きついかもしれないけど自分が背負ったものだからしょうがない。そういうのは感じるよね。野球で成功するとかしないじゃなくて、間違った道は行きたくないと思う。その子に対しての責任、全然縁もなんだけど、おれはすごく感じちゃうんだよ。だから松坂に対しても、すごく気になるし、厳しく当たった。松坂はうるさいと思っていたと思うよ西武時代、まず真っ先にあいつに怒ってたし。中途半端なことをすることを許さなかった。

 荒木氏から名前をもらった人物は、野球界以外にもたくさんいる。数年前、家族と一緒に恵比寿ガーデンプレイスで食事をしていると、アルバイトをする荒木君に会ったことがあったという。

 「テーブルに来てくれて、頑張ってねって握手したら、実は大輔っていうんですって言うんだよ。同姓同名。親が名字も一緒だからって、大輔って名前を付けたんだって」

 「荒木大輔」が、「荒木大輔」に注文を取ってもらい、食事をした。松坂ほど有名ではなくても、日本にはまだ数多くいる、それそれの「大輔」。もちろん荒木氏の活躍があったからこその話だが、こんな縁を聞いていると、あらためて甲子園が持つ影響力の大きさを感じる。【前田祐輔】