さまざまな元球児の高校時代に迫る連載「追憶シリーズ」。第26弾は黒田博樹氏(42)が登場します。

 日米通算で203勝を挙げた黒田氏ですが、上宮(大阪)時代は甲子園に出場できませんでした。それどころかチームで3年間、控え投手のまま。公式戦登板も数えるほどしかなく、練習試合で失点しては走らされる日々を過ごしました。

 そんな高校時代に培った精神力と反骨心が、その後の成長にどうつながったのか。苦しい日々の中で何を感じていたのか。「男気」あふれる右腕の高校時代を振り返ります。

 12月12日から21日の日刊スポーツ紙面でお楽しみください。

 ニッカン・コムでは、連載を担当した記者の「取材後記」を掲載します。

取材後記

 昨季限りで現役を引退した黒田博樹さんとは、今春のWBC観戦記に続き、クライマックス・シリーズ期間中の帰国に合わせてインタビューをさせてもらった。現役時代からどんな質問に対しても考え、言葉を紡いでくれた。マウンド上で闘志をむき出しにする投球スタイルとは対照的に、取材対応は親切で丁寧。また関西人らしく、どこかで面白いことを言おうとする。そんな懐の深さは引退し、さらに深まった印象だ。

 言葉を持っている黒田さんが、高校時代の話では覚えていないことも少なくなかった。プロでの登板内容を詳細に覚えていることに驚かされていただけに、意外だった。それは高校卒業から24年という歳月ではなく、部員の間で「ツボる」と表現していた走り込みによる過酷さが記憶を散漫にした印象が強い。

 すでに知られているように上宮では控え投手だった。その立場はもちろんだが、「エースになれるとは思っていなかった。ただその日をどう過ごすかだけしか考えられなかった」という現役時代には考えられない弱気な精神状態もまた、意外だった。

 真顔でいうジョークには、反応が遅れてしまうこともあるが、優しい笑顔に救われる。上宮で同学年の溝下進崇さんは「威圧感は当時よりもあるでしょうけど、しゃべればでっかい口を開いて、細い目が見えなくなるくらい笑う」と、高校時代と変わらない黒田さんの姿を思い出してほほ笑んでいた。投手として大きな変化を遂げても、人間的な部分が大きく変わっていないことも驚きである。

 エリート集団のイメージがあるプロの世界で、黒田さんは話を聞けば聞くほど、エリートとは程遠い存在だったように感じた。当時は「男気」と呼ばれるような気骨はなかったのかもしれないが、今となれば、その時間が「男気」を生んだようにも感じる。そんな大投手の野球人生に触れることができ、一般社会に生きる者としても考えさせられるものがあった。【前原淳】