佐倉一の監督を務めていた加藤哲夫は、2年生の長嶋を怒鳴りつけた。夏の大会直前の練習というのに動きが悪かった。いつものような躍動感がなく、ミスを連発した。集中力を欠いているように見え「もう野球をやめてしまえ!」と怒った。

 あまりのけんまくに驚いたのか、チームメートがこっそり言ってきた。「実は長嶋は痔(じ)が痛いんです。本当は練習できないくらいなんですが、それでも参加しているんです」と。

 加藤 本人は言ってこなかったんです。「それなら早く言えばよかったじゃないか。すまんことをしたなあ」って。あの時本当にやめさせていたら、野球の歴史が変わっていましたね。

 長嶋はこの一件を覚えていない。

 長嶋 う~ん、どうだったかな。痔が痛かった? そうかな。ただ、監督にはよく怒られたよ。

 決して笑い話ではない。痛いと言わない。言い訳をしない。それはプロになってからも続く姿勢だった。

 巨人での現役時代にこんな話がある。

 左手甲に死球を受け退場した日のこと。試合後、心配する首脳陣や報道陣に「どうってことないよ」と言って、治療もせず球場を後にした。ところが、しばらくすると、ある選手の元に長嶋から電話がきた。

 「今すぐ氷と包帯を持ってきてくれ」。かけつけた選手が「どうして、みんなの前では平気な顔をしていたんですか」と聞くと、長嶋は「勝負師は弱みを見せちゃダメなんだ」と答えたという。その素養は、高校時代から垣間見えていた。

 加藤 高校時代に練習を休んだことは1度もありません。率先してやる方でしたから。

 グラウンド以外でも、のちの姿をほうふつとさせる。いわゆる長嶋らしい「天然ぶり」を表すエピソードは、高校時代にもあふれている。

 ある合宿中のこと。着替えているときにチームメートが長嶋をとがめた。

 「それ、オレのパンツじゃないか!」

 確かに長嶋が間違えてはいていた。しかし、長嶋は謝らない。「お前のパンツなら名前を書いておけばいいじゃねえかよ!」と言い返した。ケンカになりそうなシーンだが、後輩の寺田哲夫は笑いながら振り返る。

 寺田 その人が「じゃあ、お前は名前を書いてんのか!」と言ったら、長嶋さんは「いや、オレは書いていない」って。それで大笑いです。

 3年の夏、主将として千葉市内まで千葉県大会の抽選会に出掛けた時もそうだった。部員たちは学校で長嶋の帰りを待っていたが、なかなか戻ってこない。姿を見せたのは、とっぷり日が暮れてからだった。

 理由を聞くと、長嶋は「すまん、すまん。列車が間違えて木更津の方に行っちゃったんだ」と答えた。

 寺田 みんなで笑ってね。「列車が間違えたんじゃなくて、あなたが乗り間違えたんでしょ」って。総武線に乗るところを内房線に乗っていたんですね。

 寺田は二塁手で、ショート長嶋と二遊間コンビを組んでいた。併殺のタイミングを「遅めにしろ」と指示された翌日、「何でこんなに遅いんだ」と怒られたこともあった。

 寺田 何をしても憎めない。愉快な人です。人間的に愉快な人ですから。

 しかし、寺田との二遊間コンビを解消する日がきた。(敬称略=つづく)

【沢田啓太郎】

(2017年4月23日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)