川戸浩は、他校なら間違いなくエースになれる実力を持っていた。だが、チーム内に同じ左腕の愛甲がいた。1年生から甲子園で活躍する同級生がいては、なかなか光は当たらない。

 川戸 もちろん「愛甲を抜いてやろう」とは思っていたけど、向こうは1年からエースで甲子園でしょう。街で中学の先生とバッタリ会って「お前、愛甲がいるから3年間無理だな」と言われたりね。でも、それなら自分の役割を果たそうと思っていました。

 来る日も来る日も打撃投手としてボールを投げた。愛甲と同じ上手投げから、横手投げに変えた。試合でも、愛甲を温存する時は連投も辞さなかった。春の関東大会では準決勝で完封し、同じ日の決勝でも先発して7回を投げた。

 二塁を守っていた安西健二が当時を振り返る。

 安西 川戸は当時の横高にはいないタイプでね。いつも真面目で一生懸命。フリー打撃、1カ所打撃と、1日に300球も400球も投げていた。練習はウソをつかない…それを証明するようなヤツだった。

 そんな川戸も1度だけ合宿所を飛び出している。3年進級を目前にした2年生の3月、練習試合で打ち込まれ、監督の渡辺元からグラウンド裏にある階段で走り込みを命じられた。川戸はずっと走っていたが、次の指示はこなかった。

 実は渡辺は、練習に夢中になるあまり川戸の存在を忘れてしまっていた。走らせたまま忘れていた。

 川戸はいつしか走る気力を失い、監督室に「やめます」と書き置きをして自宅に帰った。

 渡辺 私がね、川戸をないがしろにしてしまったんですよ。愛甲がいなくなった時は「お前が頼りだ」と言っていたのにね。

 川戸 いや、監督が…というのではなくてね。走りながら「このまま野球を続けていてもダメかな」と思ったんです。「オレは横浜高校にとって、いてもいなくても関係ないピッチャーだな」と思って、書き置きをして自宅に帰ったんです。

 その夜、安西から「戻って来いよ」と電話があった。「みんながお前を待っている」と。翌日、川戸は合宿所へ戻り、渡辺やチームメートに謝罪した。

 川戸 そこからは一層、頑張りました。とにかく自分にできることを最後までやろうと練習しました。

 甲子園の決勝戦。ずっと愛甲の陰にいた川戸に、大きな舞台が巡ってきた。リードはわずか1点という緊迫のマウンドに立った。

 6回表。先頭打者に左前打を許した。犠打で走者を進められ、さらに四球。川戸が一塁を守る愛甲を見た。不安そうな顔だった。愛甲は大声を出した。「お前の球は打たれない! 自信を持って投げろ!」。川戸は前を向いた。三振、二ゴロ。ピンチを脱した。

 この裏、愛甲は適時打を放った。継投する時、不安そうな川戸に「打ってやる」と宣言していた。約束を守った。

 7回も走者を出したが、無失点に抑えた。8回は三振、三振、一邪飛…3者凡退に打ち取った。

 愛甲 川戸はすごい投手だった。あいつが同級生にいなかったら、オレは間違いなくつぶれていた。故障して投げられない時も、あいつがフル回転してくれた。投げるスタミナもすごかった。実はリトル時代に対戦して負けている。ヒットは打ったけど「速い球だな」と思っていた。横浜に入った時も、こいつにはかなわないと思っていた。

 9回を迎えた。1死後に連打でピンチを迎えたが、4番打者を投ゴロに打ち取った。一塁の愛甲が捕球できず併殺を逃し、2死一、三塁。

 次打者を追い込むと、川戸は力の限りにボールを投げた。右打者の外角へのシュート。相手のバットは空を切った。(敬称略=つづく)

【飯島智則】

(2017年5月22日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)