佐々木が湘南に入学した1949年(昭24)は、敗戦から4年がたっていた。だが、まだ食糧難の時代だった。佐々木の体もガリガリだった。入学時は身長165センチ、体重56キロしかなかった。

 佐々木 今の中学2年生ぐらいの体の大きさじゃないかな。半分、栄養失調。食べるものがなくて、毎日イモ、イモ、イモでね。ご飯とサツマイモを角切りにして一緒に炊く。でもね、甘いご飯というのは、食べられないんだよな。ジャガイモならまだいいけど、サツマイモ。まあ、しょうがないから食べていたんだけど。

 比較的裕福な家に育った佐々木でも、こんな調子だった。青春の苦い思い出だが、のちに同学年のタレント黒柳徹子からはうらやましがられた。テレビ朝日系列「徹子の部屋」に出演した際「イモ、イモ、イモばかりで往生した」と語った。すると、千葉にいた黒柳は海岸で海藻を取って干し、それを粉にしてわずかなメリケン粉と混ぜた海藻麺を食べていたと伝えられた。イモなど手に入らず「佐々木さんの方がずっといいものを食べていた」と言われた。

 神奈川大会が近づいた夏休み、学校に泊まり込んで強化合宿を行った。マネジャーの高橋熙(ひろし)は、スタミナ食材をみそ汁に混ぜた。学校の裏山で捕まえたシマヘビだった。嫌がる者もいると思い、部員には内緒にしておいた。

 高橋 同じ時期に合宿していた水泳部が入れていたからまねをしたんですよ。知らないでみんな食べていました。

 ところが発覚の日を迎えてしまう。水泳部員が、野球部員に話し掛けたことが発端だった。

 水泳部員 ヘビはうまかったか?

 野球部員 お前らみたいに野蛮じゃないよ。

 水泳部員 お前らだって食べているじゃないか!

 1年生だった佐々木は、卒業までシマヘビみそ汁は知らなかった。後年になって話を聞いたという。

 佐々木 ご飯のふたの真ん中に穴を開けておくと、ヘビが苦し紛れに顔を出す。引っ掛かって絶命し、頭を持ってピューッと引っ張ると、骨だけ取れて肉だけパラパラとご飯に落ちるんだって。

 高橋 ご飯にヘビを入れた記憶はないけどなあ。ご飯には麦とジャガイモを入れました。おかずはキュウリとカツオのなまり節が多かった。冷蔵庫はありませんでした。

 食糧難の時代。食事にも工夫しながら野球に打ち込んだ。

 厚木基地に駐留していた進駐軍と試合をしたこともある。エースで主将だった田中孝一は、今でもはっきりと覚えている。

 田中 大和(市)に空軍の基地があった。そこに出入りしている保護者がいて、試合をすることになった。行くとボールをくれた。ふるまわれたアイスクリーム、お菓子がおいしかった。英語の勉強にもなったし、いい体験だった。

 進学校らしい練習で鍛えられ、夏の神奈川大会を迎えた。当時は今のような一括トーナメント方式ではなく、1次、2次に分かれていた。湘南は2次からの登場だった。

 湘南には試合前にも見せ場があった。(敬称略=つづく)

【斎藤直樹】

(2017年5月26日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)