大野は覚悟を固めた。大阪桐蔭との決勝戦の前夜。神戸市内の宿舎で監督の栽弘義から右肘をマッサージしてもらった。春先に痛め、ずっと痛みが取れない右肘だった。

 大野も栽も、とっくに限界を超えていると分かっていた。だが、2人とも翌日の登板について話し合うことはなかった。「監督とエースは一心同体だよ」。栽の言葉はそれだけだった。

 大野 監督から話はなかったけど、自分が先発と考えていました。それしかないと。先発かどうかより、大阪桐蔭をどう抑えようかと考えていた。

 同時に思っていた。

 大野 ピッチャーとしては、これが最後の試合なんだろうと。でも、寂しいとか、特別な感情はなかった。もう、痛めた瞬間に覚悟してましたからね。

 18歳の少年にとっては、あまりに悲しい覚悟だった。だが、この時の大野に迷いはなかった。投手生命をかけた闘いだった。

 沖縄水産に入学した直後、グラウンドの草刈りをしながら栽が言った。「お前たちの時に日本一になりたいなぁ」。その言葉を実現する日がきた。そう思っていた。

 試合前のミーティング。栽は当然のように「4番ピッチャー大野」と読み上げた。大野の気持ちが最高潮に高まった。

 だが、その後に栽は意外なセリフを口にした。

 「負けても、準優勝だ。恥ずかしくないような戦いをしよう」

 大野は驚いて、栽の顔を見た。それまで見たことがないほど穏やかな表情を浮かべていた。

 大野 何か、プツッと気持ちが切れたようでした。僕の中では、前年は準優勝で「今年はそれを上回るチャンスがある」と思っていた。でも、監督の言葉を聞いて「自分たちは十分、頑張ったんだ」と。そう思う、もう1人の自分が芽生えたんです。

 さすがの栽も、限界を超えていた大野に「頑張れ」と言える状況ではなかったのだろう。栽の優しい言葉は、無理を続けた大野の心境に変化を生じさせた。

 大野 「30点取られるかもしれない」と思ったんです。試合前の取材で「何点勝負?」と聞かれて「7点に抑えれば大丈夫」と答えました。記者の方々がざわつきましたよ。弱気だと思ったんでしょうね。でも、僕は真剣でした。

 初回に2点を失った。打線が3回に6安打を集めて5点を奪い、逆転した。だが、大野は踏ん張れない。その裏に2失点。5回には6安打を浴びて6点を失った。6回にも2点、8回にも1点を失った。計16安打で13点を奪われた。8-13の乱打戦で敗れた。2年連続の準優勝に終わった。

 大野は甲子園の6試合を1人で投げきり、計773球を投じた。3回戦からの4連投で35イニング、546球を投げ抜いた。

 大野 決勝はただ懸命に投げただけです。せっかくの決勝戦のマウンドなんだから、球場の雰囲気や打者との対戦…、いろんなものを感じながら投げたかったなと。途中まで勝っていたし、何とかできなかったのかという思いは今でもあります。

 試合後、栽から「お疲れさん。よく頑張ったな」と声を掛けられた。

 大野 話した記憶も数えるほどでしたし、まったく褒めない監督からの唯一の褒め言葉でしたね。

 1年前と同じ色のメダルを胸に甲子園で行進した。この時の映像が、のちにチームメートを驚かせる。(敬称略=つづく)

【久保賢吾】

(2017年6月29日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)