坂本は、夏の甲子園の決勝で、最も悲劇的な幕切れを経験する。

 77年の決勝戦。先手を奪ったのは、東邦だった。2回に7番古川孝が右前適時打。東洋大姫路(兵庫)は4回に東邦守備の乱れもあり、同点に。それ以降は、坂本、東洋大姫路・松本正志の両投手は崩れず、延長戦に突入した。

 結末は10回裏に訪れた。坂本は1死から1番田村敏一に左前打を打たれた。送りバントで2死二塁に。3番で投手の松本正志を敬遠。2死一、二塁。4番、主将安井浩二との勝負に挑んだ。初回無死満塁、3回のピンチでも内野ゴロに打ち取っていた。

 対する安井は、リベンジの機会に燃えた。

 安井 (前打者が)敬遠(されるのは、その甲子園で)2回目だったんですよ。過去、前の打者が敬遠されるのはプライドが許さないくらい腹立ったんですけど。決勝のときは(前打者が敬遠されて)うれしかったですね。主将で4番でありながらチャンスで打てなかった思いがありましたので。前の打者が打ってしまえば終わりですから。自分で決めたいという思いがごっつう強かったんです。

 ボール、ボール、ファウル、ボール。カウント3-1からの5球目だった。

 安井 四球だけはあかん、と思っていましたね。打てる球、全部打とうと。

 是が非でも安井は自分のバットで決着をつけたかった。外角高めの球がきた。捉えた打球は、ラッキーゾーンに飛び込んだ。

 夏の大会での決勝戦サヨナラ弾は、安井が放って以来、まだ1度もない。坂本は最もドラマチックな悲劇のヒーローといえる。

 それでも、坂本はさわやかだった。マウンドに崩れ落ちることなどなかった。翌日の日刊スポーツ紙面には、笑顔で握手する坂本と安井の写真が掲載されている。試合後の坂本のコメントも味がある。「負けるつもりがとうとう負けちゃった」。敗れた悲愴(ひそう)感はない。1年生エースはこの大会「負けるつもりで思い切り投げました」と何度も話していた。今したいこと、を報道陣に問われた際の答えは「早く家に帰りたい」だった。

 坂本 (決勝戦について)よく聞かれるから思い出そうとするんだけど、覚えていないというのかな。先輩たちについていこうとがむしゃらだった。長く甲子園にいたんだけど、あっという間だったなという感じ。あ、負けたんだ、と。それぐらい強烈な毎日だった。

 先輩についていくのに必死だった。だが、周囲はやはりひと味違う雰囲気を感じていた。優勝投手となった3年生松本は、夏の甲子園直後の高校日本代表合宿で同部屋だった。

 松本 マウンドの姿を見たら、ひょろっとしてかわいい感じ。ナヨナヨっとしてたね。それが日本代表で会うと、堂々としていて驚いた。周りは上級生ばかりだから、普通はおどおどするもんだけど。

 周囲を驚かせ、栄冠までわずかのところで散った1年生は、多くの人の心を揺さぶった。

 坂本 その分、安井さんは非難されたと思う。

 安井 ああ、(嫌がらせは)ありましたけどね。気にはしませんでしたけど。

 坂本は「バンビ」と呼ばれるようになる。そして過熱するフィーバーは、次第に重圧へと変わっていく。(敬称略=つづく)

【宮崎えり子】

(2017年8月8日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)


1977年夏の甲子園決勝でサヨナラ本塁打を放った安井浩二氏(2017年7月撮影)
1977年夏の甲子園決勝でサヨナラ本塁打を放った安井浩二氏(2017年7月撮影)