今でも街中では「バンビ」として、声をかけられることがある。現在、坂本は岡谷鋼機に勤め、本店長室付室長として複数の部下を持つ。部下に「坂本さんって名刺なくてもいいですよね」と言われることもあるが、そんなときは少しばかり気分を害する。

 坂本 (部下にいいですよねと言われたら)少しムカッとしちゃうんですよ。「お前は死ぬ思いをしたことはあるのか。俺は死ぬ思いで練習してきたからその地位を築けたんだ。それぐらいで仕事をやってみろ」と思うんですよね。

 根底にあるのは、どんな立場になっても、期待に応えたいという思い。東邦(愛知)時代、死に物狂いで練習に食らいついた。つらかった登下校の時間もグッと耐えた。バンビと名付けられて以降は、周囲の期待に結果で応えられず、申し訳ないと感じた。だが、逃げ出さずにやり切った。当時の東邦監督だった阪口慶三との絆も深い。今も大垣日大を率い、第一線で活躍し続ける恩師は、坂本らに「お前たちの失敗を生かしながら、進化している」と感謝の言葉をかけるという。だから、坂本は「大垣日大の子は僕の後輩でもある」と語る。

 期待を一身に背負ってきた経験からの言葉がある。15歳の夏から、街中では好奇の目にさらされ、あることないことを言われた。周囲が押しつける「いい人のイメージ」を体現しないといけなかった。これまで何人の甲子園のアイドルやヒーローの誕生を見てきただろうか。その中には、16年ドラフト5位で中日入りした藤嶋健人らのように1年生から活躍すれば、「バンビ2世」と呼ばれる東邦の後輩もいた。

 坂本 当事者の子たちがどう思っているのか、周りがどうしているのか分からないけど、いいことだけではないということを分かってほしい。最近は(早実の)清宮君が注目されて、彼も大変な思いをしていると思う。

 もちろん、注目されることの充実感もある。だが、坂本の場合は、苦悩の方が多かった。そのことを少しだけでも周囲は理解してほしいと願う。さらに若い人にも目を向けている。野球を通じての青少年健全育成を目指し、03年にはNPO法人「フィールドオブドリームズ」を設立した。社会人野球チームを招き、中学生対象の野球教室も開いている。つらい思いは数知れなかったが、やはり野球が好きなのだ。

 坂本 高校野球の最初にいい思いをさせてもらった。実績を残すと、やって当たり前だと思われるし、自分の勘違いも含めてまた次も頑張れると思った。思うような結果が出ないと、いろいろ言われた。自分の努力不足、力不足もあるけれど、いろんなことを受け入れながらやっていかないといけない高校生活だった。どちらかといえば楽しい思い出というよりは、そんな(苦しい)思い出ばかり。よく頑張ったなと思う。

 それでもこう続けた。

 坂本 今、自分があるのは東邦での3年間があったからです。

 55歳。かつて笑顔を失った男の表情には、さわやかで柔らかい笑みが浮かんでいた。40年前の夏と同じように。(敬称略=おわり)

【宮崎えり子】

(2017年8月11日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)