昨年の99回大会で、三本松が香川県勢で夏15年ぶりに準々決勝へ進んだ。人口約3万人の東かがわ市にある公立校を導いた監督は、日下広太(34)。国内の独立リーグ出身者の指揮官として、初めて甲子園に出場した。聖地に至った過程は…。その経歴を追った。

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 順大を卒業した日下は、発足したばかりのBCリーグに進んだ。チームは石川。07年春のことだ。同僚には、その年楽天にドラフト指名された内村賢介がいた。周囲を見れば、NPB入りを夢見るギラギラとした選手ばかり。だが、日下は入団の動機が違った。「ハクをつけたいと思った。上のレベルの野球をやれば、子どもたちに説得力を与えられる」。母校三本松では捕手で主将。この時、指導者への思いが芽生えた。社会人野球に進むことも考えたが、力が足りず、「就活」はうまくいかなかった。独立リーグのトライアウトに挑戦して合格。すでに四国にもリーグがあったが、あえて北信越の環境を選ぶ。「雪国はどんな野球をしているんだろう」。冬の厳しい寒さを経験するのも、指導のプラスになる。すべて監督になるためだった。

 月収20万円前後のプロ野球選手。金銭以上に得たものは大きかった。初代監督・金森栄治との出会いだ。練習では温和だが、試合になるとスイッチが入る。スクイズを外された時、持っていたノックバットを真っ二つに折った。「勝負への執着心が半端ではなかった」。プロの世界を生きてきた金森の激しさに、日下は驚かされた。練習法も参考になった。打撃では近距離から緩いボールを正確に打った。守備のアドバイスもシンプルだった。「取れるアウトを確実に、取ってくれたらいい。そこから範囲を広くしていけば。それが守備範囲だから」。この言葉は今も耳に残っている。

 石川には2年間在籍し、新潟へ移籍。その理由も日下らしい。かつてヤクルトでプレーした芦沢真矢の指導を仰いでみたかった。プロ選手としても、結果を残し、リーグ4年目には主将も務めた。そして10年秋に引退を決意する。「プロは評価される立場なので、見られているのはこういう感覚なんだ。そのため、失敗できないと無難を求め、結果が出ない。そこから開き直りを覚えた。メンタルがすごく大事だと思った。そして準備。自分がこれだけやったという練習量や努力が必要だと分かった」。身につけたかった説得力を手に、監督の道に向かった。

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 日下の指導はシンプルかつ効率的だ。冬場は4人1組で6班に分け、打撃や守備練習など同時に6つのメニューをこなす。「ノックを打つ僕にボールを渡す選手はいない。ヒマがあれば、練習しろと言っている」。守備練習も派手さはない。簡単なボールをどれだけ正確に捕球できるか。「地道な練習が一番大事だと分かった。どうやって伝えていくかを考えている」。4年間のプロ生活で構築したノウハウを、球児に注入。それが就任2年での甲子園出場につながった。

 日下はある思いを持つ。「地域の子どもが少なくなってきている。少しでも夢を与えられたら。甲子園に出られて、地域の人がすごく喜んでくれた」。BCリーグには独自の憲章がある。そこにこんな文言がある。「地域と、地域の子供たちのために」。前年覇者として出場する香川大会。過疎化が進む地域のために、野球で再び活気を与える。(敬称略)【田口真一郎】

 ◆香川の夏甲子園 通算67勝66敗。優勝2回、凖V1回。最多出場=高松商19回。

三本松ではチームと個別の目標をホワイトボードに掲げる(撮影・田口真一郎)
三本松ではチームと個別の目標をホワイトボードに掲げる(撮影・田口真一郎)