甲子園の主役は高校球児だが、アルプスの主役は応援団かもしれない。県岐阜商応援部は、全国的にも珍しい女子だけの応援部だ。バレーボール全日本高校選手権で応援賞を受賞するなど実力も高い。1950年に創部された伝統ある部は、近年まで男子のみで構成されていた。

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 06年4月、県岐阜商応援部は存続の危機に陥った。前年は3年生の男子4人で応援を行っていたが、9月で引退。10月から半年間は臨時で剣道部が活動をつないでいた。04年から応援部の顧問を務めていた渡辺信之は職員会議で訴えた。

 渡辺 応援部がない県岐阜商はどうなんですか、と。男子でも女子でも、応援がやりたい生徒は集まれ、と。

 会議では「校歌を歌うのには、応援部がなくても、吹奏楽部があれば大丈夫」という意見もあった。だが、渡辺は「県立岐阜商業高校という学校は、やっぱり元気の中心に応援部がいて、学校の規律の中心に応援部がいる。きりっとした集団がいて、学校の規律が保たれる」と、真っ向から反論。周囲を説得した。

 4月の第2週から部員の募集を開始。男女8人が集まった。3年生の女子2人は当初、スカートを膝上まで上げ、茶髪に化粧をしていた。しかし入部を決めると、黒髪を後ろで束ねた姿にがらりと変わった。渡辺は振り返る。「学校の1つの物差しになった。(生徒指導は)そこから一切注意しなくなりました」。応援部につられるようにして、学校の風紀が自然と整っていった。

 ただ、順風満帆とはいかない。07年秋から、女子だけに。08年は2年生8人に1年生6人。3年生がいないこともあり、風当たりも強かった。「お前らの指揮で校歌歌えるか!」と心ない声が飛び、女子部員は泣きながら腕を振る日があったようだ。渡辺のもとに「私たち、もうやめたい」と学ランを持ってきたことがあったという。「やめるのは簡単だけど、ここまで頑張ってきたし、一生懸命やらずにやめることだけは避けよう」との説得もあって、応援部の歴史はつながれてきた。

 努力が報われる時が来る。約1年後の09年夏の甲子園。野球部は3年ぶりの出場を果たすとPL学園、帝京といった私学の強豪を破り、4強入りを果たした。準決勝で日本文理に1-2で敗れた後、甲子園の入り口で応援部は野球部に声を掛けられた。「日本一の応援ありがとう」。女子だけの応援部が認められた瞬間だった。

 渡辺 野球のスタンドの端から端まで声が通りやすいのは、男子ではなく女子のちょっと低めの声なんです。百何メートル向こうまでパーンと届くんですよ。

 今の3年生、第67代の応援団長・河村羽留伽は中学時代、凜(りん)とした応援部に魅了され入学を決めた。夏の岐阜大会に向けて平日2時間の練習を行ってきた。大会直前には、声出しはもちろん、夏の暑さに耐えられるようにトレーナーを着て毎日2キロのランニングにも汗を流してきた。「学ランを着ている時は、キャピキャピせず、笑顔も禁止です」とりりしい。

 野球部は今年、OBの鍛治舎巧が監督に就任。6年ぶりの夏の甲子園が期待される。これまで6度の甲子園を経験した渡辺は語る。

 渡辺 みんなを受け入れてくれる感じもあるんですけど、応援とかスタンドの空気も含めて、力のないものには厳しい球場ですよね。

 アルプスからしか分からない、甲子園の景色もある。(敬称略)【磯綾乃】

 ◆岐阜の夏甲子園 通算71勝64敗1分け。優勝1回、準V4回。最多出場=県岐阜商28回。

校舎の渡り廊下でトレーニングを行う応援部(撮影・磯綾乃)
校舎の渡り廊下でトレーニングを行う応援部(撮影・磯綾乃)