6点を追う9回表の攻撃前、二松学舎大付(東東京)市原勝人監督(53)は選手たちを一塁側ベンチ前に座らせた。直前の守備から、内野手は全員3年生に代えた。先発メンバー中、下級生6人の若いチーム。間をつくり、選手たちに語り掛けた。「『あきらめないことが大切。3年生が1つになってやってきたチーム。このまま終わるな』と。言葉の魔法にかかってくれないかと思ったんですけどね」。

 願いは届かず、10三振の完封負けだった。整列に向かう選手の奥、三塁側ベンチ前には浦和学院(南埼玉)森士監督(54)が立っていた。2人は64年(昭39)度生まれの同学年で、野球界の同期が集まる「39(サンキュー)野球会」のメンバー。6月には練習試合で戦った。甲子園初対戦に、森監督は「この舞台で戦えるのも不思議な縁を感じる」とかみしめた。

 15年以上前から年に1度、年末に横浜市内に集まるのが恒例になった。前橋育英(群馬)の荒井監督や横浜隼人(神奈川)の水谷監督ら、50人以上が親交を深める。近年の高校野球界は5歳下の「昭和44年会」(大阪桐蔭・西谷監督、花咲徳栄・岩井監督、東海大相模・門馬監督ら)が、昨春のセンバツから“3季連続優勝”と好成績を残している。

 「39野球会」は、13年春に浦和学院、夏に前橋育英が優勝し“春夏連覇”を達成。市原監督は「2人が優勝したので、みんな刺激をもらいました。最近は44年のグループが結果を出しているので、僕ら年寄りはもうって感じですけど」と冗談めかす。初戦で広陵(広島)を破った直後は、試合を控えていた森監督とベンチ裏ですれ違った。「強いね」と声を掛けられ、握手を交わした。「森監督も何年か苦しんでましたから」と、同期ならではの苦労話も耳にしてきた。

 森監督にとっては5年ぶりの甲子園だった。昨夏はライバル花咲徳栄が、埼玉県勢初の日本一に輝いた。昨年の甲子園決勝は、部員全員と学校の食堂で見つめた。「はぐらかしては前に進めません。勇姿を見届けて、乗り越えないと僕たちに先はない。乗り越える努力をしないと2度と勝てない」と受け止めた。「衝撃的につらかったですが、苦しさを乗り越えてこそ喜びがある。選手も苦しかったと思います。私も最初は受け止めきれなかった。必死に受け止めようとする選手を見て、勇気づけられた」と、強いチームになって甲子園に帰ってきた。

 二松学舎大付は、5安打で完敗した。普段は冷静な市原監督は「選手はよく頑張ったと思いますが、個人的には悔しい。甲子園に出てほっとしているところがあった。ここで勝ちたい」と語気を強めた。なぜか。「同級生に負けたからです。頑張ってもらいたいし、強いチームでしたけど、悔しい。また刺激をもらいました」。転んでも立ち上がって、また帰ってくる。浦和学院は、そんな思いも背負って大阪桐蔭に立ち向かう。【前田祐輔】

指示を出す二松学舎大付・市原監督(撮影・横山健太)
指示を出す二松学舎大付・市原監督(撮影・横山健太)
横浜隼人の水谷監督(2014年7月14日撮影)
横浜隼人の水谷監督(2014年7月14日撮影)
前橋育英の荒井監督(2018年8月7日撮影)
前橋育英の荒井監督(2018年8月7日撮影)