全国高校野球選手権大会が100回大会を迎える2018年夏までの長期連載「野球の国から 高校野球編」。元球児の高校時代に迫る「追憶シリーズ」の第18弾は谷繁元信氏(46)です。生まれ育った広島から島根・江の川に入り、生涯をかけて守るキャッチャーに転向します。3年生の島根大会では5試合連続7本塁打の記録も打ち立てました。球史に残る名捕手が、どんな高校時代を送っていたのか。全12回でお送りします。


笑顔で高校時代を振り返る谷繁氏(撮影・飯島智則)
笑顔で高校時代を振り返る谷繁氏(撮影・飯島智則)

確かに受験勉強はしていなかった。谷繁は、まったく準備せず広島県立広島工業高校の入学試験に臨んだ。同校の野球部から「試験さえ受けてくれればいい」と誘われ、その言葉を信じていた。しかし、結果は不合格だった。

谷繁 後々考えてみると、県立高校だから試験さえ受ければ入れるなんてありえない。でも、当時は大丈夫だと思っていた。誘ってもらって、こちらも「お世話になります」って答えた。落ちるとは思わないよね。だから、まったく勉強しないで試験を受けた。

広島県比婆郡(現在の庄原市)で生まれ育った谷繁は、東城中の軟式野球部で頭角を現していた。小、中学を通じてポジションは主に投手だった。3年になると、広島工、広島商、広陵など広島県内の強豪校から勧誘を受け、最終的に広島工を選んだ。同校は谷繁が中学3年だった1985年(昭60)夏、7年ぶりの甲子園に出場していた。強豪校でのプレーを望んでいた彼にとって、最高の進学先だった。

広島工のユニホームでプレーする姿を思い浮かべて日々を過ごした。併願校など受けていない。不合格により行き場を失った。

谷繁 うわさで名前も書かなかったと言われたけど、名前ぐらいきちんと書きましたよ。それに自分で言うのも何だけど、勉強だってやればできたと思う。だけど、やらなかった(笑い)。

父一夫はショックのあまり体調を崩して寝込んでしまったという。

谷繁 父親の方がへこんでいた。広島工に行くものと信じていただろうし、田舎だから近所にも知れ渡ってバツが悪かったんでしょうね。

ただ、谷繁自身は妙に納得していた。

谷繁 オレは別に落ち込んでもいなかった。冷静に「そうか…じゃあ、どうしようかな?」とね。決して無神経ではないけど、あまり思い悩まない。クヨクヨするより「次にどうしようか」と考える方だからね。

ほどなく広島工監督の小川成海から、2次募集をしている高校を勧められた。隣県の島根にある私立、江の川(ごうのかわ)高校。谷繁は名も知らぬ学校だった。だが、受験を決めた。

谷繁 選択の余地はなかったからね。でも、これがよかった。「ここで…江の川でやるしかない」と覚悟が決まった。

江の川で監督を務めていた木村賢一にも、急に飛び込んできた話だった。

木村 小川さんから電話をもらいました。2次募集の前ですね。私は谷繁の名前を知りませんでした。うちは関西方面の選手が多く、広島では勧誘していなかったから。

広島工の小川は、のちに高陽東、瀬戸内も甲子園に導く名将である。彼は、木村に谷繁を勧める際に「いい選手だ」と評した後、谷繁の人生を左右するような一言を付け加えたという。

木村 「ピッチャーとしてもいいけど、キャッチャーをやらせてもおもしろいかもしれない」と言っていました。なぜ、小川さんがそう見たのか。理由は聞きませんでしたけどね。

2次募集で合格した谷繁は、親元を離れ、県境を越えた島根の高校に入った。

谷繁 後で考えると、自分にとっていい方向、いい方向へ進んでいったんだよね。その時はきつかったけど、広島工に入っていたらキャッチャーをやっていたか分からない。野球を続けていたかも定かではない。自分で切り開く道もあるけど、突然のように目の前に現れる道もある。何のために現れたのか、その時は分からないけどね。

谷繁は突然のように現れた「江の川高校」という道を歩み始めた。この道が、甲子園へ、プロへ、球史に残る名捕手へつながっているとは想像もしなかった。ただ、目の前の道に1歩を踏み出した。(敬称略=つづく)

【飯島智則】


東城中時代の谷繁の投球
東城中時代の谷繁の投球

◆谷繁元信(たにしげ・もとのぶ)1970年(昭45)12月21日、広島県生まれ。江の川(現石見智翠館)では87、88年夏の甲子園に出場。8強入りした88年は島根大会全5試合で計7本塁打を放った。同年ドラフト1位で大洋(現DeNA)入団。98年の日本一に貢献し、01年オフにFAで中日移籍。中日ではリーグ優勝4度、07年日本一。13年に捕手として3人目となる通算2000安打を達成。14年から選手兼任監督となり、15年に引退するまでプロ野球記録の3021試合に出場。16年に監督専任となり、今季から日刊スポーツ評論家。プロ通算2108安打、229本塁打、1040打点、打率2割4分。現役時代は176センチ、81キロ。右投げ右打ち。

(2017年9月20日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)