捕手にコンバートされた谷繁は、1年生ながら春季大会でスタメンマスクをかぶった。だが、1カ月が過ぎた頃から左膝に水がたまった。慣れない重労働のポジションに、体が悲鳴を上げたのだろう。病院で水を抜くなどの治療を受けた。

こうした事情もあり、夏の正捕手は先輩が選ばれた。監督の木村賢一が振り返る。

木村 3年の捕手が、捕球してから二塁に届くまで2・0秒。1年の谷繁も同じ2・0秒。同じなら3年生の経験を買おうと決めました。

谷繁は打撃を買われ、一塁へ回った。

木村 入学時は打てませんでした。ドアスイングで、引っ張ったら全部ファウルに切れてしまう。打撃は指導しましたね。前に大きいスイングに直した。よくなったので、クリーンアップが1枚足りない事情もあって5番に置いた。1年ながら結果を残しましたよ。長打も出ていた。

この年は準決勝で、優勝した浜田商に3-4と惜敗した。当時の地元紙に掲載された記録によれば、谷繁は4試合で13打数6安打5打点の打率4割6分2厘。本塁打1本、二塁打2本を放っている。

新チームでは、捕手に専念した。

谷繁 キャッチングやスローイングは、あまり指導された覚えがない。我流です。ただ、配球については監督からいろいろ言われましたね。

木村 野球は、投手がどこに投げるかもありますけど、その前に捕手がサインを出すところから始まる。捕手がどこを要求したのかは大切になる。なぜ、あの球を出したのかを聞きました。「何でまた、あそこで真っすぐなんや?」とね。

谷繁は、リードについて考える時間は苦にならなかった。小、中学時代に投手を務めていたときも、打者のタイミングを外すなど駆け引きが好きだった。捕手の指示ではなく、マウンド上で考えていた。

谷繁 よく相手を見ていたと思う。無意識だけど、相手を観察していた。「この打者はどうしてヒットが出るんだろう」とか「どんなタイミングの取り方をしているのか」などとね。自分で言うのも何だけど、ここがセンスだったと思う。センスがいいといわれる選手は観察能力が高いんですよ。観察は、自分の進歩につながる。言われたことだけでなく、自ら観察して工夫してやり始める。こういうのをセンスっていうと思います。

強肩は言うまでもなかった。同級生の藪野良徳が、振り返る。

藪野 僕は捕手で入学したけど、彼がいたら試合に出られないので二塁に回りました。二塁では、捕手からのけん制がイヤでね。谷繁の送球は、投手のけん制より速い球がくる。捕ると痛い。冬は特につらいから、ショートに入ってくれと頼んでいたぐらいですよ。

打撃では4番に座った。まさに大黒柱だった。順風満帆な高校野球に思える。だが、まだ1年生。寮生活では、上下関係もあってつらい日々が続いていた。

秋に事件が起きた。野球部長の山代邦徳から、谷繁の実家に電話が入った。(敬称略=つづく)【飯島智則】

(2017年9月24日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)