「1年生は風呂敷」

1972年(昭47)、西本が入部した松山商野球部には、今聞けば驚くような独特の「しきたり」が数多く存在した。

西本 1年生は学生カバンと風呂敷です。ユニホームや野球道具は風呂敷に包んで持ち歩きました。2年生になってやっと紙袋、3年生になって初めてスポーツバッグを持つことが許されました。それからソックスは黒、パンツは白のデカパン、靴はゴム底の白の運動靴。学生帽は1年生の時は購買で買った時の型を崩してはいけない。


【注】「風呂敷」は現在の松山商野球部では廃止されている。西本の同級生で、96年夏の甲子園で母校を率いて優勝した沢田勝彦(現北条高監督)が決めた。西本は反対したというが「父母会の会合に出て話を聞いたら、風呂敷が手に入らなくて困っている」(沢田)という声が多数出て決断した。ちなみに現在は1年生からスポーツバッグが許されている。


しきたりはまだある。

西本 返事は「はい」と「いいえ」しか言えない。「おはようございます」は「オハッス」、「こんにちは」は「チワ」、「失礼します」は「シワス」、「ありがとうございました」は「アシタ」。

さらに校内で上級生と会った時は必ず低い位置からあいさつしなければならなかった。2階にいて1階の先輩と目が合ってしまった場合、急いで1階まで駆け降りてあいさつをした。上級生に会うことがない授業中こそがもっとも安心して過ごせる時間だった。休み時間は外に出ず、教室でじっとしているのが最も間違いがなかったという。

授業が終わると練習が始まる。

西本 1年生は制服からユニホームに3分で着替えないといけなかった。逆も同じ。全員ができないと何度でもやり直し。できるまでやらされました。

そんなルールに悪戦苦闘しながらも、西本は入学からわずか2週間で鮮烈デビューを果たす。

西本 4月の後半に松山で北四国(香川、愛媛)の大会があったんです。その決勝戦に投げさせてくれたんです。相手は確か高松商だったと思いますが1安打か2安打で完封しました。外野に打球が飛ばなかったんじゃないかな。

「西本3兄弟」の末っ子として、すでにその名前は中学時代から知れ渡ってはいた。それが期待以上の完封デビュー。「松キチ」と呼ばれる熱狂的な松山商ファンは盛り上がった。「これで3年間は甲子園に行ける」と。学校のグラウンドには連日300人近いファンが西本を見に押しかけた。しかし、西本にとっても松山商にとっても、これがいばらの道の始まりだった。(敬称略=つづく)【福田豊】

(2017年10月17日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)