硬球を握ってからわずか2週間での公式戦完封デビュー。西本にとって順風満帆なスタートかと思われた。ところがそこはまだ1年生。特別扱いは一切なかった。

松山商は上下関係がひときわ厳しいチームだった。ボールが落ちていたり、あいさつができなかったり、約束事が守れなかった場合、練習後に上級生から集合がかかった。1人でもミスがあると連帯責任。待っているのは1時間の正座とケツバットだった。

西本 1年生はそれぞれ隠し場所があって。何を隠すかというとバスタオルなんです。ケツバット対策ですね。集合がかかると隠し場所にバスタオルを取りにいって、ユニホームのズボンの中に入れて痛くないようにするわけです。

ただ、西本にはケツバットの洗礼はなかった。

西本 投手の数が少なかったので、もしケツバットで間違って腰をやっちゃったらまずいので、僕はゴム底の靴で顔を十数発殴られました。

早朝から夜8時過ぎまで気が休まる暇がなかった。厳しい練習、そして理不尽な上下関係。下宿先の姉の家では寝言で「ちわっ」(こんにちは)と野球部で決められたあいさつを繰り返すこともあったという。つらい毎日に西本は我慢ができなくなっていた。

西本 そんな状況で、西本聖は行動を起こしてしまいました。脱走を計画して、野球をやめるという。自分が悪くて自分がやられるのはいいけど、もう耐えきれなくて…。

5月だったか6月だったか-。正確な時期は覚えていない。西本は同級生5人と脱走した。5時間目の授業を終えると10分間の休憩時間に教室を出てトイレに隠れた。そして6時間目の授業が始まると同時に塀を乗り越え校外に逃げた。向かったのは松山市駅にあるデパートの屋上だった。

西本 うれしい気持ちと不安な気持ち。そこから逃れられたという、でも大丈夫かなという不安な気持ちと。複雑でしたね。

仲間と相談して、まずは西本の実家のある興居島(ごごしま)へ向かった。1泊すると「とにかく遠くへ行こう」と翌日は電車に乗って高松(香川県)へ向かった。(敬称略=つづく)【福田豊】

(2017年10月18日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)

西本の故郷・興居島
西本の故郷・興居島