脱走した5人は興居島(ごごしま)の西本の実家で1泊すると電車で隣県の高松へと向かった。

西本 入学した時に「九州だろうが大阪だろうが、どこへ行こうと後援会の人たちに全部見つかるから」とよく言われていました。それだけ昔から脱走者がいたっていうことです。

高松に着くと現実に戻った。

西本 学校も行かないで逃げている。親も心配している。野球部の厳しい罰から逃げたいという思いの方が強くてここまで来てしまったけどどうなんだと。

結局、高松から松山に戻る途中、西本ら5人は確保された。学校に戻り謝罪をして野球部に戻った。

翌日から「気持ちを切り替えて頑張っていた」という西本だったが、再び脱走してしまう。

西本 今度は俺だけ逃げた。やっぱり(殴られたりするのが)嫌だったのかなあ。野球部じゃない同級生の家にかくまってもらって。でも姉に電話したところ「母が倒れた」と言われたりして、翌日駐車場の陰かなんかに隠れていたら兄が来て見つかっちゃった。

再び謝罪して野球部に戻った西本は自己嫌悪に陥った。そんな時、すぐ上の兄正夫から1冊の本をもらった。正夫は甲子園の優勝メンバー。脱走を繰り返す弟を心配していた。

西本 身体障害者の方が書いた本でした。一生のうち1度でいいから立ってみたい、歩いてみたいと。こういう人たちの中にも野球が好きな人もいる。「不自由なく好きな野球ができているのにおまえの取っている行動は間違っていないか」と兄に言われた。思い切り頭をぶん殴られた気持ちでした。

今度こそ西本は改心した。その後2度と脱走することはなかった。

西本 自分が変わる大きなきっかけになりました。人生って面白いもので何かあるからそこで何か勉強できる。厳しい野球部じゃなかったらそう思わなかったかもしれない。

再び野球に打ち込む毎日が始まった。しかし1年夏、秋、2年夏、秋と結果は出ない。甲子園は遠ざかるばかりだった。

2年秋の県大会。西本はリードを守れず逆転負けを喫した。試合後、監督の一色俊作(故人)に「自分が投手をしている限り甲子園に行けません。投手をやめたい」と申し出た。兄2人も指導した一色からは「おまえを最後に見て監督を辞める。甲子園に一緒に行って辞めるから」と言われていた。一色は驚いたが、翌日から西本に一時的に内野手の練習をさせ始めた。そんな冬のある日、西本が「一生忘れない」という練習が行われた。(敬称略=つづく)【福田豊】

(2017年10月19日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)