黒田の投手としての能力を認めていたチームメートは少なくなかった。黒田よりも評価されていた主戦の溝下進崇には、今でも忘れられない1球がある。打撃練習から遅れてブルペンへ向かう途中、黒田の投球が真後ろから見えた。

溝下 スライダーが衝撃的だった。「なんじゃ今のは? こんなスライダー打たれない」と。真っすぐの軌道で来たと思ったら横に滑っていく。自分が思っている理想と体の動きがマッチしたときはとんでもない球を投げていた。

潜在能力の高さを認める者は他にもいた。主将の筒井壮は投手としての雰囲気を感じ取っていた。

筒井 才能はすごく感じるけど、ムラがあった。でもやっぱり一番、投手としての振る舞いをしていた。黒田が投げた方が、より強いチームだったんじゃないかなと思います。

そんな黒田がようやくスポットライトを浴びるときが訪れる。新チームとして迎えた2年秋の近畿大会。直前の府大会で登板機会がなかったものの、ブルペンでの投球の変化に監督の田中秀昌は気づいていた。

田中 フォームが安定していた。体のバランスもよく、リリースも一定だった。クロにとって、良薬は結果だと思っていた。いいときに使ってあげたいし、自信をつけてもらいたかった。

田中は相手打線との兼ね合いを考慮しながら、黒田起用のタイミングをうかがっていた。準々決勝の日高(和歌山)戦、1-0の7回途中から出番が巡ってきた。背番号17の黒田は1安打無失点に抑えて試合を締めくくる。田中の「打たれても、溝下と西浦(克拓)がいる」という予防策を立てた起用を見事に裏切った。

続く準決勝のPL学園(大阪)戦でもチャンスを与えられた。3-0の8回から2番手で登板し、2イニングを2安打1失点。さらに決勝の天理戦では先発西浦がKOされ、2番手溝下も打ち込まれ、三たび黒田に出番がきた。3-8の4回から6イニングを投げ、登板投手の中で唯一無失点。チームは2点差まで迫り、敗れはしたものの、翌春のセンバツ出場権をほぼ手中にした。待ちわびた黒田の好投に、チームメートも自分のことのように喜んだ。

溝下 快刀乱麻でした。切れ抜群のストレートととんでもないスライダーが面白いように決まって、バッターがクルクルと回っていた。見ていて面白いし、気持ちが良かった。僕は軟投派で、西浦は力投派でもショットガンのようですが、クロは糸を引くような真っすぐを投げていた。

もちろん、黒田にも特別な喜びがあった。勝利をただベンチで待つのではなく、自らマウンドでたぐり寄せた勝利もあった。近畿大会で3試合10イニング以上を投げて1失点の結果は、監督の田中が期待した良薬になりそうな予感があった。上宮に入学して、初めて味わう感覚に浸った。

黒田 自分が投げて貢献できた喜びがあった。ベンチにいてチームが勝っていくのではなく、投げて勝っていくから充実感はあった。だから、(翌春のセンバツを)すごく楽しみにしていた。

近畿大会準優勝で、翌春のセンバツ出場はほぼ確実となった。黒田に足りなかった結果と自信が芽生え、殻を破るきっかけとなる可能性は十分あったが…。ようやく開けたと思われた視界は、予期せぬ形で真っ暗闇に変わる。(敬称略=つづく)【前原淳】

(2017年12月17日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)