ホームランには、夢がある。全国高校野球選手権大会100周年企画「未来へ」の最終回は、球児たちの本塁打の変遷に迫る。金属バットが初めて導入された74年、飛距離は格段に伸び、高校野球が変わった。本塁打数が増加傾向にあった92年には、甲子園のラッキーゾーンが撤廃。一時は本塁打数が激減したが、再び増加に転じた。歴代のスラッガーたちは、環境の変化とともに、成長を続けた歴史がある。(敬称略)【後編】 

 金属バット登場が高校野球を変えてから18年後。今度は甲子園が変わった。92年のラッキーゾーン撤廃だ。両翼は5メートル延び、最深部は8メートル奥まった。

 再び、野球は変わる。拡張後、初めての大会となった92年センバツは、大会通算7本(ランニング本塁打1本含む)と、本塁打が激減した。優勝した帝京(東京)は、14年ぶりのノーアーチVを達成。試合数が違うため、単純比較はできないが、直近の91年夏の計37本から30本減った。

第73回全国高校野球ラッキゾーン撤廃前年の91年夏、本塁打を放つ星稜・松井秀喜
第73回全国高校野球ラッキゾーン撤廃前年の91年夏、本塁打を放つ星稜・松井秀喜

 ただ、このラッキーゾーン撤廃が、本当のスラッガーの力を際立たせた。

 92年センバツで初本塁打を放ったのは星稜(石川)松井秀喜。開幕戦(対宮古)の2打席連続本塁打だった。大会全7本中、3本は準々決勝で敗れた松井がマーク。当時甲子園で観戦し、後に巨人でチームメートになる帝京・三沢興一は「開幕戦は一塁側のスタンドで見てました。打球が速かった。すごい打球が、スタンドに入った記憶はあります。(ラッキーゾーンの有無は)彼にとっては関係ないのでしょう」と言った。

 92年センバツで「4番投手」として全試合完投して優勝した三沢は、前年夏は、いずれもラッキーゾーンに飛び込む2本塁打を放っていた。だが、このセンバツでは本塁打0。両大会を経験した数少ない選手で「投げる時は感じなかったですが、打席に立つと広さを感じました。左中間フェンス近くまで飛んだ二塁打が2本ぐらいあって、去年だったら、もしかしたら入っていたかも、と思った時はありましたね」。

 前年夏は、3回戦の池田(徳島)戦の8回に、逆転満塁本塁打を放った。チームは延長10回、8-6でサヨナラ勝ちした。

 三沢 僕としては、ラッキーゾーンはあった方が良かったですね。あれがホームランにならなくて、ただのレフトフライだったら、その後のドラマはなかったですから。2年の夏だったんですけど、ベンチ裏に来た3年生が「ありがとう!」って抱きついてきたんです。自分も熱くなりました。僕はあのラッキーゾーンに、いい思い出を作らせてもらいました。

 ラッキーゾーンは、人生を変える力があった。それは勝者にも敗者にも言えること。三沢は、続ける。

 「でも不思議ですよね。ラッキーゾーンがなくなって、ホームランが減っても、数年たてば、また増えるんですね。環境が選手を変えていくんでしょうか。そこまで飛ばさなかったら、ホームランにならないと、強いスイングをする野球になっていった、というのもあるかもしれないですね」

 低調だった本塁打数は、松坂大輔擁する横浜(神奈川)が春夏連覇した98年に撤廃後初の30本台となる計34本を記録。智弁和歌山が1チーム大会最多の11本塁打で優勝した00年に計38本となり、大阪桐蔭・中田翔が2年生だった06年に、歴代最多60本塁打が飛び出した。近代的な筋力トレーニングの導入や、打撃マシンの発達。さらには、性能が向上した金属バットの影響もあるのだろう。

 近年では、13年までに大阪桐蔭・森友哉が、歴代4位タイの甲子園通算5本塁打を放った。環境の変化は、選手を強くする。だから、みんなホームランに夢を見る。【前田祐輔】(おわり) 

83年4月、右翼席から見た甲子園のラッキーゾーン
83年4月、右翼席から見た甲子園のラッキーゾーン
夏の甲子園での年別本塁打
夏の甲子園での年別本塁打

 ◆甲子園の学校別本塁打でトップはPL学園の70本。2位の大阪桐蔭が57本で猛追している。大阪桐蔭の学校初アーチは91年春の萩原誠(元近鉄)。萩原が1号を打つ前に、PL学園は59本打っていた。当初の59本差は、今や13本差に接近している。大阪桐蔭は平田良介(現中日)森友哉(現西武)が各5本。萩原誠と中田翔(現日本ハム)が各4本打つなど、54試合で57本を量産。通算10本塁打以上の66校の中で、試合数より本塁打数が多いのは大阪桐蔭だけだ。試合数から見たペースの2位は上宮の30試合19本だから、生産率は圧倒している。54試合中38試合で本塁打を記録。91年春の初出場以来、3試合連続本塁打なしを経験したことがない。【織田健途】 

甲子園の学校別本塁打
甲子園の学校別本塁打

 ◆個人最多本塁打 甲子園の個人通算最多本塁打は、清原(PL学園)の13本。2位の桑田(PL学園)元木(上宮=各6本)に7本の大差をつける。92年のラッキーゾーン撤去後に通算6本以上は出ていない。森(大阪桐蔭)の5本は左打者の史上最多。

甲子園通算5本塁打以上の打者
甲子園通算5本塁打以上の打者