時の流れは早い。私、卒業(定年退職)して、いつの間にか14年目を迎えている。いまだ、こうして野球に携わったありがたい身分だが、10年ひと昔という。取材で鳴尾浜球場に足を運んで時の流れを感じるのはあたり前かな。選手名鑑で阪神タイガースのメンバー表に目を通していても、広報担当として在籍していた当時の選手がなかなか見当たらない。5月8日だったかな。場内アナウンスの「ピッチャー、金田に代わりまして、福原。背番号28」の声が耳にはいった。聞き慣れた名前になぜかホッとした。立ち場は違えど一緒に戦った選手。懐かしさを抱いた。

 9回1イニングをピシャリ。この試合、ルーキー・望月がウエスタンの公式戦に初先発。5回を無失点に抑える好投。プロ入り初勝利の権利を持っていた。若手の将来を担う大事なマウンドだったがきっちり締めくくった。新人と18年目のベテラン。年の差なんと20歳。試合後ウイニングボールを手渡してやるやさしい先輩。話題の中心は何をさておいてもプロ入り初勝利の望月だろうが、私は懐かしさもあって福原の取材に走った。「頑張っとるなあ。まだまだ若さがあるぞ」と声をかけると、ニッコリ笑って「ハイ、頑張っていますよ」と福原の方も懐かしそうに話しかけてきた。ちなみに、現役選手としてユニホームを着ているのは福原を含めて藤川、安藤、狩野の4人。寂しさも感じたがこれがプロ野球界の流れなんだろう。

 そういえば、今年の沖縄キャンプ。OB会で陣中見舞いに訪れたときも、ブルペンでのピッチングを見せてもらった。なかなか生きのいい球を投げていた。コントロールにも狂いはない。キャッチャーの構えたミットにきっちりおさまる。入団当時を思い出した。球はとてつもなく速い。球速150キロ台のストレートを投げる。目を見張ったものだが、ただコントロールには難があった。課題は制球難の解消だったが、当時の野村監督がこうつぶやいたことがある。「こういう球の速いピッチャーは魅力があるよな。こんな選手をドラフト3位で獲ってくるスカウトの目は確かだよ」と--。あれから18年。いまではチームに欠かせない存在。昨年、一昨年と2年連続して最優秀中継ぎ投手のタイトルに輝くなど、5年連続して50試合以上の登板をしている。いまだタフネス。頼りになる男だ。

 久保ピッチングコーチに聞いてみると「まだ本調子とはいかないまでも状態は良くなっていますよ。もういつでも上へ行けます。安藤が疲れてきたとき、代わって行けたらと思いますが、なにしろリリーフ投手はあまり間隔を空け過ぎると、かえって調子がおかしくなったりしますので、その点を考えながら起用していきます」である。福原のような経験豊富なピッチャーは、ゲームに投げられる状況になれば、いつでも自分の力を出せるだけの技術を持っている。西鉄(現西武)時代に感心したことがあった。あの大投手、故・稲尾和久さん。故障あがりにウエスタンで投げた。我々は完璧なピッチングを想像して注目したが、なんと、ものの見事に打ちのめされた。でありながらひと言「もう大丈夫や」その言葉どおり次に登板した1軍の試合からバリバリ投げていた。福原も「もう大丈夫」だろう。

 甲子園球場で行われた巨人(2軍)との交流戦でも、完璧に最後を締めくくった。入団当時と一番変わったところをたずねてみた。「そうですねえ。タイガースに入ったころは、行き先はボールに聞いてくれといわんばかりに、ただ、力いっぱい投げていましたが、現在は一応すべてを計算しつくしてバッターを打ち取っています。一番変わったといえばこの点ですね。もう腰の方も大丈夫ですし声がかかれば、いつでもOKです。今年もまだ先は長いですし、これからでも遅くないので頑張ります」なかなか元気がいい。そこで、「いっそのこと、山本昌(元中日)超えを狙ってみたら」と向けてみると「いやあ」と手を顔の前で振りながら盛んにテレ笑いをしていたが、「当然、まだユニホームは脱ぎません」と前向き。若手と一緒になって真夏日の中、練習、試合は過酷かもしれないが、山本昌も炎天下の鳴尾浜で投げていた。現役を続ける以上は当然の行動。今年の阪神は若い力の台頭でチームは活性化しているが、いざとなった大事なときこそベテランの力は必要不可欠。福原は1軍から声のかかるのを待っている。もうすぐ40歳、本当に元気だ。

【本間勝】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「鳴尾浜通信」)