自主トレ-。もう新制度があたり前になっている。現状に違和感を持つ人は皆無に等しいだろうが、ちょっと待って下さい。私、個人的にいまだに疑問を抱いたままでいる。新制度は選手会側がオフシーズンの権利を主張して得たもの。同会の存在が1歩、2歩と前進。球団との力関係が均衡してきた証しでプレーヤーにとっては確かにプラス材料だが、選手にもいろいろな立場がある。果たして、底辺の選手にまで気遣いが行き届いた制度だったのだろうか。疑問はこの点にある-。

 詳細はあとから説明するとして、気になるのは権利を得るために球団との交渉に出席した選手である。顔ぶれを見ると各チームの選手会長だ。それぞれが数年は活躍している実績ある高給取り。金銭的に余裕のある人たちが集まって決めた制度。現状を見れば一目瞭然。各自、自主トレの行動にはかなりの差がある。ある選手はチームの同僚数人とそろって始動しているし、別の組は何チームかの選手が集まって互いに意見交換したり、体を鍛えるだけの目的にあらず技術的なことから、精神面に至るまで吸収し合っている組もある。当然場所は暖かいハワイとか沖縄などを選んでの始動。まとまった費用が必要だ。ここでひとつの疑問。果たして、ペナントレースで真剣勝負する相手と仲良しなっていいのだろうか。 プロである。自費をはたいての自主トレは当然のことだが、金銭的に自分で描いている理想の自主トレはできない選手がいる。特に若手。大半はホームグラウンドを利用している。最近は各チームとも施設は充実。グラウンドはもちろんのこと、しっかりしたウエートトレーニング場も完備。不自由はないだろうが球場をのぞいてみると、あっちでひと固まり。こっちでひと固まり。どうみてもまとまりがない。もっと、もっと体を鍛えるべき若手の練習にしては物足りない。我々の時代同様全員がそろって始動する方が、ライバルに囲まれて競争意識は旺盛になり、プロ意識も芽生えて充実したトレーニングになるはずだ。

 現在の現役選手で当時の自主トレを知っている人はいない。簡単に説明しておこう。厳しかった。初日から容赦なかった。トレーナーは自主トレのために毎年お呼びしていた松葉さん。もう何年も指導しているので選手を扱うサジ加減は知り尽くしているから手加減がない。性格はさっぱりした人だったが、トレーニングは“殺人体操”で知る人ぞ知る厳しい人。体操中心。はじめのうちはまだしも体操は延々と続く。徐々に疲れがたまってくる。もう、途中からは半端じゃない。ひとつの種目が3分から5分と続く体操に音をあげる人が続出。あの吉田義男さん、小山正明さん、故村山実さんといったモサ連中もタジタジ。とにかくシンドかった。口で説明するのは無理。体験した者にしか分からない体操だった。

 例えば膝の屈伸運動。腕を体の前で交差させながらの体操。いいかげん疲れている時に3分、5分と続くものなら足が震えてくる。トレーナーは情け容赦なく手を変え品を変えて次々と約3時間強。翌日は足がパンパンに張って痛いのなんの。トイレに座るのがやっと。悪いことに当時はまだ身近なところに洋式トイレなどはない。残念ながらタイガースの合宿所は和式のみ。しゃがみ込むのにひと苦労もふた苦労もしたことを思い出す。心、技、体のトレーニングには申し分なかった。現在の自主トレはホームグラウンドでしか見たことがない。自主性を養うのにはいい方法かもしれないが、いまひとつ、球団主導の自主トレを残しておくてだてはなかったのだろうか。若手の成長にはアメとムチの使い分けは必須。門戸を開いて包み込んでやることや、逆に強制的に指導していくことも必要。そこで、球団主導の自主トレが併用であれば、自費でトレーニングする余裕のない選手でも大手を振って参加できる。指導者もついた充実練習ができるはずだし、私としては、こうあってほしかった。

 新制度が設けられたのは1988年8月22日の実行委員会。オフシーズンはこの年の12月から実行された。プロ野球界には複雑な制度がある。プロ野球選手は一事業主。シーズンの球団との契約期間は2月から11月までの10カ月間。報酬は年俸制。選手の生活に合わせて球団が配慮。年俸を12等分して給料としている。従って12月と1月は球団に拘束力はないのに、自主トレはこの中で半強制的に行われていた。この点を選手会側が主張して交渉が行われ、オフシーズンの権利が認められた。

 新制度になって自主トレの方法は大いに変わった。我々の時代は初日からユニホームを着て半強制的に全員がそろってスタートしたものだが現在は各個が自分の意思で練習する日を決めて始動する。間もなくオフシーズンに入るが最終目標の優勝は球団も選手も皆同じ、ならば、前を向いてもっと、もっと話し合えばオフの用途はさらに進化する余地はあるはずだ。

【本間勝】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「鳴尾浜通信」)