元ロッテの里崎智也氏(野球評論家)の「ウェブ特別評論」を掲載中。47回目は「反則投球の基準って何?」です。

   ◇   ◇   ◇

【ケース1】

<西武3-0楽天>◇17日◇メットライフドーム

 西武先発の菊池雄星投手が2回1死で2球続けて一塁塁審に反則投球(ボール)と判定された。それ以降はクイック投法に変更し、完封で12勝目を挙げた。西武は電話で質問し、NPB審判部から投球についての回答を文書で得た。

 ▽西武鈴木球団本部長の話「審判の判断で一連のモーションではなかったということだった。ハーフスイングと一緒。直す努力をしなくてはいけないのかなとは思う」

 ▽西武辻監督「(基準が)あやふややろ。努力、対策するとしか言いようがない。投手の野球生命に関わる」

【ケース2】

<日本ハム0-3西武>◇19日◇札幌ドーム

 日本ハム井口和朋投手が2点ビハインドの9回に登板。先頭木村文への初球、投球動作が止まっていると審判から指摘され反則投球とされた。

 ▽日本ハム井口「(今まで指摘されたことは)全くないです。言われなかった」。その回、1点を失った。今後については「とりあえずセットにすればいいので…」。

 ▽責任審判の西本三塁塁審「中途で止めているから反則投球。野球規則通りです」

   ◇   ◇   ◇

 今回、立て続けに2投手が、投球の際、2段階に足を上げているように見える一連の動作の中で反則投球を取られた。

 審判は、野球規則にある「投手が投球動作中に、故意に一時停止したり、投球動作をスムーズに行わずに、ことさらに段階を付けるモーションをしたり、手足をぶらぶらさせて投球すること」に抵触したと判断したようだ。

 ただ、反則投球の判断基準、最終決定は審判個人にゆだねられている。定義がわかりにくい。2005年ごろ野球の国際化を目指すという方針のもと、2段モーションの取り締まり強化が進んだが、国際大会ではそんなに反則投球に厳しいのか。第1回WBCに参加させてもらった私の経験値で言えば、それほど厳しくはない。メジャーで2段モーションが禁止されているわけでもない。

 今回の反則投球は国際基準だったのか。2段モーション禁止令が出された05年、私は現役のど真ん中だった。当時“怪しい”とうわさされた投手も聞いたが、実際に反則投球となっていない投手もいる。今回、菊池、井口の投球フォームが反則投球の判定を受けたが、05年当時、セーフと判定された投手と、どこが違うのか、あまり変わっていないような気もするのだが。それほど判定は難しい。

 菊池の反則投球で、NPB審判部から回答を得た西武鈴木球団本部長の話では「審判の判断で一連のモーションではなかったということ」とあるが、どこのどの部分が一連ではなかったのか、分からない。

 菊池と井口がアウトなら、ほかにも微妙なフォームの投手が反則投球と仕分けられるのか否か。振り上げた足は止まっているかのように見えるが、つま先が揺れているから動作は静止しておらず大丈夫だとか、似ている投球フォームでも、○と×があるのだから現場が混乱するのも無理はない。

 それはルールと言えるのか。もっと明確に、文書で記載できるほど厳密にしないことには混乱は収まらない。誰もが納得できる線引きが難しいなら、2段モーション系の反則投球規則は止めることも選択肢として「あり」だと思う。選手の技術を妨げるルールなら進歩につながらない。レベルも落ちる。西武辻監督が言ったように選手の死活問題となりうる。

 日本に来た助っ人投手がボークを取られるケースを見かけるが、けん制でボーク判定が厳しいのは個人的にはOKだ。投手のクイックの上達や盗塁する選手は大きなリードオフ習得など技術向上につながっている。WBCでキューバの1番打者だったロッテ・サントスは世界トップ級の日本球団のバッテリーに苦戦し、ここまで4盗塁(成功率5割)しか出来ていないほどだ。

 審判も、選手にも少なからず影響を与えた今回の反則投球問題。そんな中、雄星は序盤に2球続けて反則投球を取られたにもかかわらず完封勝利はあっぱれ。審判への批判を口にする声も聞くが、しっかりした定義を与えられていない審判もかわいそうだ。

 日本が目指す国際基準とは何なのか。知らず知らずのうちに基準がダブルになっていないか。繰り返しになる。2段モーション系の反則投球規則は廃止するのが1番の解決法だ。

 1段から2段モーションに変えるような、惑わせる投手がいるなら、取り締まってほしい。しかし、菊池や井口のようにワインドアップから一定のリズムの中、投球の流れで“2段”にされる分なら、打者はそんなに困らない。

 ◆里崎智也(さとざき・ともや)1976年(昭51)5月20日、徳島県生まれ。鳴門工(現鳴門渦潮)-帝京大を経て98年にロッテを逆指名しドラフト2位で入団。06年第1回WBCでは優勝した王ジャパンの正捕手として活躍。08年北京五輪出場。06、07年ベストナインとゴールデングラブ賞。オールスター出場7度。05、09年盗塁阻止率リーグ1位。2014年のシーズン限りで引退。実働15年で通算1089試合、3476打数890安打(打率2割5分6厘)、108本塁打、458打点。現役時代は175センチ、94キロ。右投げ右打ち。