高原 お久しぶりです! マツモトさん! イチロー、やりよりましたね。

 マツモトさん いや、まだや。もう1本打たんと抜いたことにならんのや。

 高原 ん~? いや、2安打で4257本になったと思いますけど。

 マツモトさん いや、オレがな、日米野球でピート・ローズに1本打たれとるから。それを勘定してもらわんとあかんのや。

 高原 はっはー! そうでしたか!

 阪神とオリックスの交流戦が行われた甲子園球場で松本さんと久しぶりに話しました。

 松本正志さん。高校野球ファン、往年の野球ファンならご存じでしょう。1977年(昭52)夏の高校野球、決勝戦でバンビこと坂本佳一投手擁する東邦(愛知)と投げ合った東洋大姫路(兵庫)の松本投手です。

 その秋にドラフト1位で阪急に入団。引退後は打撃投手などの裏方に転じ、現在はオリックスで用具担当のスタッフを続けています。もちろんイチローが在籍したときもチームにずっとおられました。

 その阪急松本がルーキーだった78年オフ、日米野球が開催されました。米国側は「ビッグレッドマシン」の異名を取ったシンシナティ・レッズの単独チーム。その年に通算3000安打を記録したピート・ローズはもちろんジョニー・ベンチ、トム・シーバーらも顔をそろえていました。

 日本側は巨人と各チームの連合軍が迎え撃ちました。その巨人が阪急と連合軍を組んだ試合のこと。

 監督はミスター長嶋茂雄氏。連合軍の先発は山田久志氏(日刊スポーツ評論家)でした。松本さんは2番手で登板し、現役バリバリのピート・ローズにストレートで勝負を挑み、右前打を浴びたそうです。

 日米野球などのエキシビションやポストシーズンなどの安打数は言うまでもなく通算安打に勘定しないので、冒頭の話はもちろん冗談ですが、なんとも歴史の重みがあるジョークだとも思います。

 長きに渡って活躍を続けるイチローは野球に関わるいろいろな人たち、いや野球に関わらなくても同時代を生きてきた人たちが自分の過去と重ね合わせることができます。中高年はもちろん、今を生きる若者もそれは同じでしょう。

 松本さんの話はかなり特別な部類に入りますが、それでもイチローの魅力はそこにあるのかもしれません。