クライマックスシリーズ取材のため、広島を訪れました。今年、何度目か。すぐには思い出せませんが今回はこれまでとは違うことがあります。

 山本一義さんが、いないのです。

 往年のファンには懐かしい元赤ヘルの4番打者。ロッテ監督、広島コーチなどを経て、故郷・広島に住んで日刊スポーツ評論家として活躍しておられました。そんな山本さん、いや、私も周囲もずっとそう呼んでいたし、年長の方に失礼ですが「一義さん」と書かせていただきます。

 昨秋、体調を崩されて闘病生活に入りました。春には今季の評論活動についてお伺いしたところ「ちょっと無理かのう…」と言われました。それから入退院を繰り返し、年齢のこともあり、こちらはある程度の覚悟をしていました。

 しかし、一時はかなり回復され、7月23日にお会いしました。同22日は一義さんの78歳の誕生日でした。偶然に私と同じ月日で、ちょうど25歳差。そんなこともあって勝手に親近感を感じていました。

 和食店に招いていただき、お誕生日おめでとうございます、などと言いながら広島担当記者の池本と3人で食事をしました。体調のことを聞くのだけれど、根っからの野球人、すぐ野球の話になってしまいます。「緒方は頑張っとる」「カネ(阪神金本監督)は大丈夫か? 心配じゃの」。かつての教え子たちに気を配ってばかり。「日本シリーズのころに、またゆっくり」と言って別れた姿が最後になりました。

 9月17日に死去され、明かされたのは10月3日。一義さんの考えを知るご遺族の「広島が戦っている最中に水を差したくない」という意向によるものでした。

 日刊スポーツの広島担当記者は歴代、試合前にいっしょに食事をしました。古きよき時代の野球の話を聞きました。

 個人的に強く印象に残っているのは「オマエはえらい」と、言っていただいたことでした。どこまでも私的な話で申し訳ありませんが、このコラムで既に書いてしまったので、また書きます。広島で妻を亡くし、年老いた母の助けを得ながら父子家庭で3人の娘を育てていることに「オマエはえらいぞ」と言われた。

 気の毒でした、苦労だね、大変だ、頑張れなどと言っていただく方はたくさんいますが、あんなにシンプルに「えらい」と言う人はいない。「全然えらくないんだけどな」と思いながらも感謝したものです。そういう方でした。

 その一義さんの訃報を聞き、気になっていたことがありました。9月10日、東京ドームでの緒方監督、新井、黒田の胴上げを見ることができたのだろうか。

 それが今回、分かりました。

 一義さんは病室のテレビを食い入るように見詰め、「よかったのう」とつぶやいていたそうです。25年ぶりの歓喜を、ちゃんと見ておられたのです。ああ、間に合ったんだと思うと、また涙が出てきました。

 さあCS突破、そして日本シリーズへ。今度は空の上からですが「しっかりせい」と言いながら見ておられるはず。優勝の影で、永遠の別れ。今でも十分そうですが、本音を言えば、さらに勝ち進んで、今季を一生、忘れられないシーズンにしてほしいと、心から思います。