- 90年代半ば、オリックス時代のイチローはサインを続けた。そのうしろで警備する矢野豊さん
イチロー来日? 記念の「高原のねごと」です。
20日のアスレチックス-マリナーズ戦。イチローがベンチに下がる前に選手とハグをする場面に感動した方も多いのではないでしょうか。
こちらは「おいおい。まだ辞めへんやろ」と内心で思いながら見ていましたがファンにはファンの気持ちがあります。横浜に住む矢野豊さん(42)もその1人でしょう。
矢野豊と名前を出しても分からないでしょうが、この人は「イチローのおかげで嫌われた男」です。
メジャー開幕戦の前日だった19日、横浜スタジアムで行われたDeNA-阪神のオープン戦に行きました。そこで矢野氏に今年初めて会いました。
矢野氏は同スタジアムや神宮球場などの警備などを務める「ニッソーサービス」で運営を補助するリーダーの仕事を務めています。
神戸出身である彼の仕事歴は古い。オリックス黄金時代の90年代半ば、学生だった彼は本拠地グリーンスタジアム神戸(GS神戸=当時)で警備のアルバイトをしていました。
こちらとはその頃からの知り合いですが数年前、横浜スタジアムで再会したときは思わず「おお!」と声を出してしまいました。
さて、当時はイチローが大ブレークした頃です。そのサインを求めるファンは常に多数、球場に詰めかけていました。GS神戸は選手、関係者の駐車場と一般の人の通路が金網フェンスでさえぎられているだけ。だから帰宅するイチローの姿は丸見え。球場を出る際には大声でサインを求められていました。
「10分だけやろうか」
イチローはいつも矢野さんにそう言ってファンの下に向かったそうです。しかし時間を計るのは矢野さんの仕事。10分たつと「イチローさん、時間ですよ」と声を掛け、即席のサイン会を終えていたと言います。
ファンからすれば目の前まで来ていたイチローが警備員のひと声でサインをやめてしまう。当然、不満は矢野さんに向かいます。
当時、世の中に出はじめていたインターネットの掲示板で「あいつのおかげでサインをもらいそこねた」「何のつもりだ」などと悪口を書かれたのです。
矢野さんは「こんなこと言われてるんですよ~」と冗談交じりに訴えました。イチローはニヤリと笑ってこう言ったそう。
「有名になってよかったじゃん!」
そう言いながらも世話になっているという意識はあったようで、渡米してからも毎年、矢野さんに直筆の年賀状を出していました。
そして昨年末。帰省した矢野さんは神戸市内にあるイチロー行きつけの店に食事に出掛けたそう。期待はしていなかったのですが、ばったり本人に出くわしたといいます。
現在の自身の仕事などについて話したところ、イチローはこう言って笑顔を見せたのです。
「神戸を離れても横浜の球場で仕事をしてくれているのはうれしいなあ…」
そんな言葉を胸に20日の試合をテレビ観戦していた矢野さんはジーンとしたのです。
実際に接することができた人も、球場でテレビで応援してきた人にも、みんな「自分とイチロー」の思い出があるはずです。それだけの時間が流れたということです。そして、その思いは現在進行中。そんな視線でイチローに注目したい。そう思います。
- 最近の矢野豊さん