コラム「虎だ虎だ虎になれ!」を書くため、阪神とともにツアーをしている私、8月は大阪から2度、神宮球場に足を運びました。しかし23日からの神宮遠征にはいつも以上に“大きな目的”がありました。

ヤクルトが誇る山田哲人内野手に“あること”を聞くためでした。それはこういう質問でした。

「山田選手はシピンを知ってるん?」

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ヤクルト山田哲人(2019年8月14日撮影)
ヤクルト山田哲人(2019年8月14日撮影)

山田は8月14日のDeNA戦で30号本塁打をマークしました。これは彼にとっては2年連続4度目のシーズン30号でした。そのときにわが日刊スポーツが誇る記録部から出た原稿に思わずしびれたのです。こういう感じでした。

「ヤクルトでシーズン30本塁打を4度以上は、88~92年池山(5度)99~02年ペタジーニ(4度)11~14、16~18年バレンティン(7度)に次いで球団4人目。また二塁手で4度のシーズン30発は、73、75、76年の3度記録したシピン(大洋)を上回り、史上最多となった」-。

出た。シピン。何を興奮しているのか。非常に個人的なことですが、外国人選手で初めてファンになった選手がシピンだったからです。

ジョン・シピン。私の世代で野球に興味があれば知らない人はいないでしょう。大洋ホエールズで強打の二塁手として鳴らしました。

我々の世代、子どもの頃はほとんどみんなが草野球をしました。体の小さいこちらは大体、二塁手です。今は、少々、イメージが違いますが当時は二塁手はパワーがない、地味な選手が守るポジションという感じでした。

うまい子どもは投手、サード、ショートから。うまくない子どもは外野、内野なら二塁という感じでした。個人的な印象ですが。

そんなときシピンという選手が実に格好良く画面に映っているのに夢中になりました。守備時でもヘルメットをかぶっており、ひげ面。さらにパーマをかけた長髪がはみ出している。そして豪快にたたきつける打撃で本塁打も打ちました。チームとしては、やはり阪神、阪急を応援していましたが選手で好きなのはシピン、でした。

ジョン・シピン(1977年4月26日撮影)
ジョン・シピン(1977年4月26日撮影)

その後、巨人に移籍し、長髪を切り、ヒゲもそってまったく別人のようになったことにもかなり驚かされました。

そんなシピンの名前を山田が思い出させてくれました。強打の二塁手という以前の日本人選手ではあまりいなかったタイプ。しかも関西出身の超一流です。いつも注目していますし、なんで阪神におらんねん、と思う選手の代表格でもあります。

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そして冒頭に書いた山田への質問です。どんな答えだったか。こんな感じでした。

「シピン? いや。知りません。知らんですね」

時代が違うのでこれは仕方がありません。思わず苦笑してしまいました。

そんな話をした後の25日阪神戦で途中交代したことを心配しています。無事に復帰して、ますます過去の名選手の記録を追い越し、その名前を思い出させる活躍をしてほしい。そう思っているのです。