<イースタンリーグ:DeNA4-6ヤクルト>◇12日◇横須賀

捕手で通算出場1527試合、引退後は4球団で計21年間を過ごし、合わせて42年間をプロ野球で生きてきた田村藤夫氏(61)が、ヤクルト雄平外野手(37=東北)の姿に、岐路に立つプロ19年目の現実を見た。

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37歳か、と思わず年齢のことが頭に浮かんだ。ヤクルトのファームには雄平と同じタイプの坂口がいた。同じ左の外野手でタイプとしてはかぶる。その坂口が8月中に1軍に昇格している。残された雄平の心中は穏やかではないはずだ。

シーズンはどんどん進み、もう秋口に入った。優勝争いをしているヤクルトにとって、これから大詰めを迎える中、ここぞの場面で使えるベテランは頼りになる。とは言え、同じタイプの坂口が1軍に上がってしまえば、自分の出番を考えた時、焦るのは普通のことだ。

バッティングを見ると、年齢による衰えは隠せない。私は中日1軍のコーチ時代に雄平の勝負強いバッティングを敵として見てきた。左打者雄平の怖さを知っている。それを知るだけに、この日のバッティングには正直に衰えを感じた。

内角のストレートをさばけない。私の知る以前の雄平ならばしっかり捉えることができたはずのインコースに詰まっている。バッターは自分の衰えを頭では分かっていても、いざ打席の中ではこれまで捉えていた球に体が反応してしまう。

第1打席、カウント1-0のバッティングカウントから、右投手の内角147キロストレートを打ちに行って右飛。おそらく本人は捉えられると感じたのではないか。しかし、スタンドから見ていたスイングは球威に押されていた。わずかだが反応の遅れ、目の衰え、体のキレ、こうしたものが要因となって詰まってしまうのだが、これを克服するのは非常に難しい。

実績から雄平と同等に扱えないが、中日立浪の晩年は代打だった。大事な場面で一振りにかけていたが、相手投手の特長をよく把握して、狙い球をしぼって打席に入っていた。対戦する投手は、試合終盤のため先発よりも救援陣が多かった。試合の流れでどの投手と対戦するか読めない部分もあったが、相手の救援陣をよく研究していた。そして、センターから反対方向へしぶといバッティングでチャンスを広げていた。

雄平にも、ここから1年でも2年でも粘るためには、今まで対応できた内角への意識を変える必要性を感じる。今まで打てていたから体が反応してしまうのだろう。内角が好きだったというプライド、こだわりもあったと思う。それらをいったんフラットに戻して、自分が生き残る道を探る。それは言葉で表すほど簡単ではない。しかし、雄平にはやってのける資質がある。

第2打席、初球外寄りのチェンジアップを中前にヒット。第3打席は初球インコースへのカットボールを打って詰まった捕邪飛。この全3打席の内容を見て、好きなインコースへの思いがそのまま結果に直結している。逆に言えば、第2打席に外寄り変化球に対応したように、内角にこだわる考えを捨て、他に生きる道を探ればまだ可能性はある、ということだ。

相手バッテリーも雄平の内角打ちへの衰えは感じているだろう。となれば、そこを攻める。その内角攻めに雄平も意地になって応じるのではなく、追い込まれていればカットする、浅いカウントなら見送る。そういう変化、進化にチャレンジするのもひとつの道だ。

何より、私が雄平にまだプロでやれると感じるのは、5回で交代した後、ベンチ前に立って仲間に声を出している姿を見たからだ。第2打席で中前打で出塁すると、外野手の捕球を見ながら二塁を奪おうとした。後続打者のヒットでは二塁で止まらず三塁を狙おうとした。次の塁を狙う意欲、得点への執着心。まだまだやれる選手に見えた。そのアグレッシブな姿勢がこちらに伝わってきた。

私は39歳まで現役を続けたが、最後はダイエー(現ソフトバンク)の2軍で終わった。夏場を迎えた頃だった、当時はダイエー2軍のチーム方針として、一塁走者はけん制を受けた時は頭から戻るという約束事があった。近鉄戦だった。一塁走者の私はけん制を受け、頭から一塁に戻った。正直に言うが、それまでプロ生活で一塁に頭から戻ったことはなかった。

チームの約束事を守ったにすぎないが、頭から戻った後、起き上がる。心の中で「しんどいな」と思っていると、近鉄ベンチからやじが飛んだ。日本ハムで同僚だった中島輝士がコーチとして近鉄ベンチにいて「そんな姿見たことないぞ」と笑いながら叫んでいた。私は苦笑いした。

今になって思えば、「しんどい」と感じた自分自身、中島にやじを飛ばされても何も感じなくなっていた自分自身が、その時すでに選手生活の終わりを覚悟していたのだろう。

30代後半になれば、戦力外はすぐそこに迫る。雄平もあがいて、もがいて生きる道を切り開いてほしい。まだできると、私は感じた。今の雄平に見るべきは、インコースに凡退した姿ではない。ベンチ前で声を出すその姿に、まだ可能性が残されていると、私は直観的にそう思った。(日刊スポーツ評論家)