「取材は足を使え」。入社1年目に先輩記者から教わったのだが、現場に行けばいくつも発見があるということである。昨年12月14日、慶応(神奈川)に行った時もそうだった。

 午後4時ごろ、練習が始まる。グラウンドで73人の部員が汗を流す中、高校生とは少し雰囲気の違った学生がグラウンドに立っていた。森林貴彦監督(43)は「慶応高校の野球部出身者で、今は大学に通う学生コーチたちです」と紹介した。そして、こう続けた。「うちのチームの強みは、この10人の学生コーチの存在なんです」。

 内訳は内野担当が3人、捕手担当が3人、投手担当が1人、打撃兼外野が2人、メディア(データ)担当が1人だという。実は、かつて森林監督も、学生コーチを経験した1人だった。「監督には言えなくても、年齢が近い学生コーチなら、話せることだってあると思うんです。『体のここが痛いです』とか、野球以外の悩みも相談できるだろうし、大人だけでは目の届きにくい部分も彼らがサポートしてくれる」。

 学生コーチの役割は多岐にわたる。通常の練習メニューの補助はもちろん、早朝の自主練習、居残りでの自主練習、必要なら家庭教師として部員をサポートする時もある。森林監督は言う。「自分で考えてやってほしいなと。朝練も居残りでの練習も全て自分主導。自分から学生コーチにお願いしたりして。それが社会に出た時に役立つと思うんです」。

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 センバツ大会の選考を目前に控えた1月22日。年明け初めて、走者をつけた形でノックが行われた。ノックバットを持ったのは、内野担当の玉村拓也コーチ(3年=商学部)だった。中学時代は、福井県の鯖江ボーイズに所属。西武の玉村祐典投手(21)、中日の岸本淳希投手(20)らがチームメートで、3年時にはジャイアンツカップ3位に輝いた。

 甲子園を目指し、慶応に入学するも、内野の控え要員で高校生活を終えた。「東京6大学でプレーすることにあこがれて」慶大に進んだが、引退後に進路を熟考。「自分の中で限界が見えて、選手では続けられないなと。でも、自分の人生を振り返った時に、野球しかなくて。3年間で人間的にも大きく成長させてもらったし、慶応高校に何か恩返しがしたいと思ったんです」。選手生活に終止符を打ち、後輩と「甲子園に行く」夢を選んだ。

 部員と接する時は「全力」を心掛ける。「少しでも、僕らを必要としてくれる部員たちの気持ち、信頼は裏切れないです」。午後11時、部員からメールが届き「明日の朝、ノックを打ってもらえませんか?」と頼まれ、午前7時からノックバットを手にすることもある。「人から求められる、必要とされる人になりたいんです」。

 選手にとって、10人の学生コーチはどんな存在なのか。主将の新美貫太外野手(2年)は「故障してもやりたい、誰かに相談したいと思う時がある。そんな時、僕たちの気持ちを分かってくれるし、本当に近い存在でいてくれる」と感謝する。そして、心に誓うことがある。「コーチの分も甲子園に行って、あの場所でプレーしたいです」。

 この春のセンバツ、慶応はあと1歩のところで漏れた。森林監督は「選手たちには、どんな経験でも生かそうと言っているんです。センバツの候補に挙がったことも1つの経験だし、これをどう生かすかが大事」と話した。全国の中でも屈指の激戦区と言われる神奈川。森林監督を中心に、学生コーチ10人で作り上げる「慶応野球」はこの夏、どんな戦いを見せるのだろうか。【久保賢吾】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「野球手帳」)