ハワイ大学の中に「ムラカミ・スタジアム」という立派な球場がある。11年前の秋、カギのかかった正面入り口で待ちぼうけをした。

 巨人の若手が参加するウインターリーグを取材することになり、連盟に連絡した。担当者は「どうぞどうぞ。球場でお会いしましょう」と優しく、でも時間やパスの受け渡しなど細かな説明のない、ロコ的なおおらかさに満ちた答えをしてくれた。当時の私は適当が過ぎ、確認もせずに空港から直行したのだった。

 警備員に聞くと試合はナイターだという。開門すれば入れる。ゲームがあるなら何とかなるか…と思いつつ、時差ぼけも日差しも強烈でのどが渇いて、その場にしゃがんでじっと待つことにした。「日本人? 何をしている?」と声をかけられ振り返ると、屈強な外国人がユニホーム姿で立っていた。かくかくしかじか来た旨を伝えると、日本語で「私はヘンスリー・ミューレンです」と言われた。指導者としてウインターリーグに参加しているという。

 「球場に入れるから、ついてきて」。疑うよりも疲れていて、やっと入れる気持ちが上回っていた。上階に向かうエレベーターで「僕が日本でプレーしていたこと、知ってる? 今でも日本が大好きなんだ。みんな優しくて、助けてもらったから」。ヒアリング能力に合わせて、ゆっくり話してくれた。

 エアコンの効いた部屋に通され「コーヒーを飲もう」と勧められた。ホットをすすりながら「日本の野球は、いつも気にしているよ。スカウトに聞いたりして」。このひと言が引っ掛かった。この際、と尋ねた。

 「聞きたいことがあるんですけど…」

 「何? 僕が知ってることなら何でも」

 「李承■は、メジャーに行ってしまうんですか?」

 「ノー。彼は間違いなく来年もキョジンでプレーする。確かに数球団の担当者が彼を追いかけていたけど、みんなアメリカに戻ったと聞いている」

 2人きりの部屋でも、最後は声のトーンを下げて答えてくれた。何かを聞き出そうとしている意図を理解したのだと思った。「ガンバッテクダサイ」とウインクをもらい、強く握手して別れた。東京に連絡を入れ、しばらくすると「李承■ 残留」の報が流れた。

 NPBで初めてのオランダ出身選手として活躍し、メジャーのコーチとして名をはせ、第3回WBC代表監督として4強に導いた。その功績と人柄を認められ、母国ではナイトの称号を与えられた。ハワイのひとこまはもう覚えてないだろうけど、WBC2次ラウンド、東京ドームのオランダ戦でミューレン監督と会えたら、あいさつしようと思っている。

■=火へんに華

【宮下敬至】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「野球手帳」)