花咲徳栄(埼玉)が県勢初優勝を成し遂げた夏の甲子園。広陵(広島)は4度目の決勝も、頂点にあと1つ届かなかった。大会一の注目を集めたスラッガー・中村奨成捕手(3年)は涙にくれた。そんな中村をベンチから支えた、背番号18のキャプテンがいた。

 主将の岩本淳太投手(3年)は、入学して3日で144キロを出すなど、将来を期待された右腕だった。しかし1年秋に肘頭骨を骨折し、11月に手術。治りかけたが今度は尺骨神経脱臼。2年夏に肘頭骨に骨盤の骨を移植する手術を受けるなど、けがに苦しんだ。病院に行けばいいことは言われない。痛み止めを飲んで我慢もした。「ここまでか…」毎日寮の部屋で涙が出た。

 春の県大会決勝で敗れ、中井哲之監督(55)は「本当にチームをまとめられるやつは誰か」と主将を選手間で決めなおさせた。そこで選ばれたのは岩本だった。もともと控え選手のまとめ役。1年時に中村と平元銀次郎投手(3年)のバッテリーがよく衝突していた時にも、なだめて諭した。当初は聞く耳を持たなかった中村にも、根気強く言い続けていた。「広陵は控えが大事。控えがしっかりすればメンバーもしっかりする」。声で態度で、チームを引っ張ると決めた。

 選手を鼓舞し、支え続けた。20日の準々決勝・仙台育英(宮城)戦。中村はこの試合で、甲子園での連続試合本塁打が「3」で止まった。試合後「途切れてもうた」ともらす中村に「たまたまやんけ、そんなもん。また明日打てばいいやん」と励ました。22日の天理(奈良)との準決勝では、7回2死満塁で回ってきた中村に「お前のために拍手してくれてる。打たなあかんやろ」と鼓舞。「よっしゃ打ったるわ!」と宣言通りの3点適時打を引き出した。敗れた23日の決勝後は、涙にくれる中村の肩をそっと抱いた。

 「お手本です。筋が通ってる男。男としてかっこいいし、あこがれです」と中村が尊敬する主将。男同士の約束がある。岩本が小学1年の時、父喜博さんが肺がんのため55歳で亡くなった。亡くなる数秒前、喜博さんに「絶対プロに行け」と夢を託された。寮の部屋には、喜博さんの遺影を置き、試合前には必ず供えるお水を取り換えて「俺頑張るから」と声を掛ける。岩本は夏が終わったらトミー・ジョン手術を受ける予定。「手術して、大学では日本一を取ってプロになろうと思います」。今度はプレーでもチームを引っ張る。【磯綾乃】