大学野球最後の試合を終えた早大・今井脩斗内野手(4年=早大本庄)は「優勝がかかっていましたが、プレッシャーにせず、楽しもうと思った。できすぎです」と率直に話した。10月31日の東京6大学野球、早慶戦。勝てば優勝だったが、3-3で引き分けた。自らは4番に座り、4打数1安打。初回に左前打を放ち、先制点につなげた。慶大に優勝は許したが、精いっぱい戦った。

何より、これ以上ない栄冠を手にした。打率4割7分1厘、3本塁打、14打点で、打撃3部門トップで終えた。戦後15人目(早大5人目)の3冠王だ。レギュラーに定着したのは、この秋。「できすぎです」と話すのも、うなずける。

実は、春先に右肘を痛めたこともあり、野球は大学でやめるつもりだった。ところが、今季の大ブレークで社会人野球の名門トヨタ自動車から声がかかった。「新人の気持ちで、また1からやりたいです」と気を引き締めた。

野球をやめるはずが、名門へ。チームは最後のリーグ戦で逆転優勝とはならなかったが、今井自身は、まさに逆転人生だ。「自分でも信じられないですね」。そして、こうも言った。「みんながいなければ、今の僕はありません」。

開幕前に、つまずきがあった。肘の状態も良化し、リーグ戦まで1週間のころ。定められたノックを受けていないことを、小宮山悟監督(56)にとがめられた。「お前みたいなのを試合に出すと、OBに申し訳が立たない」と、ベンチ入りメンバーからも外された。今井自身はデータ班との確認作業を優先し、守備練習をサボったつもりはなかった。ただ、課題である守備の練習をしなかったのは事実。「自分が、やってしまったこと。反省しないといけない」と受け止めた。

迎えた開幕の立大戦。今井を欠く打線はふるわず、連敗した。ここで動いたのが、丸山壮史主将(4年=広陵)だ。小宮山監督に「もう1度、今井にチャンスを与えて下さい」と直訴した。「キャプテンの顔に免じて」と、同監督は次の東大戦から今井の復帰を認めた。すると、今井は2試合で1本塁打を含む計8安打、9打点。そこから、大活躍が始まった。グラウンドでの練習にも、一層、力を入れた。

当時の判断を、丸山はこう明かした。「『今井がいなくて負けた』と言われるのは嫌でしたけど、やっぱり、今井がいないとダメだと思いました。早稲田の150人みんなが喜ぶには勝つしかない。控えのみんなが『なんでこのメンバーなんだ』と不完全燃焼になるのは避けたかった」。

主将が動いたのは、今井が努力する姿を見ていたからでもある。もっとも、その努力があだになったこともあった。3年生の6月ごろ、夜の自主練習でウエートトレーニングを行っていたが、ベンチプレスで120キロを胸に落とし、胸骨を骨折。真夜中に救急車で運ばれた。今では笑い話でもあるが「ケガをした期間、自分の内面を知る大切さを実感できました。ケガは大きなデメリットでしたが、メリットもあった。自分には必要な経験だったと思います」と振り返る。

とにかく、山あり、谷ありの4年間だった。小宮山監督は「バットを持たせたらプロレベル」と太鼓判を押す。いろいろあったが、最後の最後にそのバットで、自ら道を切り開いた。今井の逆転人生は、まだまだ続く。【古川真弥】