甲子園最速、仙台育英・由規の155キロを生み出したのは、元球児のトレーナーだった。仙台市「石川整骨院」の石川裕治院長(52)は当時の竹田利秋監督が「これで優勝できる」と豪語した東北高校黄金時代の捕手。79年春夏、80年春夏と4度出場し、大会屈指の選手でありながら治療家の道を選び、以来多くの野球選手を陰で支えてきた。

 80年夏の甲子園。4季連続出場で、後にプロ入りする中条善伸投手、佐藤洋、安部理内野手の3人がそろう東北は優勝候補の1つだった。石川も大会ナンバーワン捕手と言われていた。

 石川 3回戦で戦った浜松商に足の速い選手がいたんです。後で見た映像で「大会一の俊足対強肩どちらが勝つか。走ったー。強肩勝ったー」という実況があったのを覚えています。優勝した横浜から「一番おそれている」と言われたのが東北でした。

 だが浜松商に5-6で敗退。東北ナインは、悔しさの半面ほっとしていたという。

 石川 とにかく竹田先生の練習が厳しくて。毎日毎日疲れ果てていました。午後9、10時やるのは当たり前。また「野球人である前に、人間であれ」ということも厳しく指導されました。光るまで床を磨く、おいしくみえるように配膳する、ふとんを隅々まできっちり整える。おかげで、人生の中であの3年間よりつらいことはありません。人間が強くなりました。当時のメンバーで「あの時もっと練習しなかったら勝てたな」と今でも笑って話します。

 青森県弘前市出身。小学生の頃から「鉄砲肩」といわれた強肩を生かし、甲子園、プロ入りを目指して東北に入学した。だが、1年の5月、肩の治療のため行った大阪「寺坂整骨院」でカルチャーショックを受けた。手技で人の体を治す仕事に一気に魅了された。進路を決める高3の秋、石川はずっと胸に隠していたセラピスト・トレーナーの夢を監督の竹田に伝えた。すると竹田は「何を考えているんだ! 考え直してこい」と激怒したという。

 石川 当時はあまりメジャーな仕事ではなかったので。でも意志は変わりません。津軽弁でいう「じょっぱり根性」です。

 プロや大学の誘いを断り、大阪の専門学校へ。修業を積み、25歳の若さで仙台に整骨院を開いた。石川が施すのは「筋徒手療法」。手技で、筋肉の質の変化を起こし、正しい体の使い方を導く治療法だ。石川のもとには一般の患者のみならず、高いパフォーマンスを求めて多くのスポーツ選手が訪れる。現在プロでは楽天松井稼、藤田、川井らを治療。過去にも仙台育英の大越基(現早鞆監督)、金村秀雄(暁=現野球評論家)など多くの球児を甲子園に送り出してきた。07年夏の甲子園では、仙台育英に同行し、つきっきりで由規のケアをした。

 石川 155キロ出した時には、その前に5時間ぐらいずっと治療していたんです。渦中の人だったし、勝って当たり前、三振取って当たり前という感じだったので、精神的にも参っていました。でも投げられた。機械に頼らなくても、手技で治す方法があるんです。

 長く治療の現場から球児を見てきたからこそ言えることがある。

 石川 公立と私立の選手でも高校生のやることだから大差はありません。正しく体を使える方法を身につければ、いいプレーが絶対できます。

 訪れる人に「もっといいものを提供したい」と、52歳になった今も勉強中だ。(敬称略)【高場泉穂】