みちのくの夢は、桑田の1発で砕かれた。1984年(昭59)夏の準決勝。初出場の金足農(秋田)は2年生の桑田真澄、清原和博擁する優勝候補PL学園(大阪)に善戦。7回まで2-1とリードも、8回裏に桑田に2ランを浴び逆転負けした。長谷川寿捕手(48=ホンダ監督)は「神がかった試合だった」と振り返る。

84年8月、PL学園・桑田は決勝打となる逆転2点本塁打を放つ。捕手金足農・長谷川
84年8月、PL学園・桑田は決勝打となる逆転2点本塁打を放つ。捕手金足農・長谷川

 みちのくの無名校がPLを倒してしまうのか-。7回表、金足農が2-1とリードすると、4万5000人と超満員の甲子園がざわつき始めた。マスクをかぶる主将長谷川も、その空気を感じとっていた。

 長谷川 1球1球、アウト1つ取る度に歓声が起こる。PLが負けるんじゃないか、と。異様な雰囲気でした。ただ心の中では、いつかどこかでやられると思っていたんです。

 8回表は無得点に終わり、その裏の守備。エース水沢博文と長谷川のバッテリーは、PL先頭の3番清水哲を遊ゴロで打ち取り、4番清原には四球を与える。迎えたのはそれまで3打席無安打の桑田だった。

 長谷川 1球目は、外角のストレートを見逃し。その時点で(桑田は)「カーブを狙っているな」と思いました。2球目は外そうと、外角のボールになるカーブを要求したら、少し中に入っちゃったんです。それを打たれた。レフトへの大飛球を見ながら「すげぇな、こいつら」と思いました。

 清原、桑田がホームにかえる。その逆転2ランで試合が決まった。

84年夏、準決勝のスコア
84年夏、準決勝のスコア

 前年夏の王者PL学園と「KKコンビ」は、大会の注目の的だった。PLは3回戦都城(宮崎)戦まで大差で圧勝。準々決勝で松山商(愛媛)に2-1で辛勝し、勝ち上がってきた。一方の金足農は、広島商、別府商(大分)を破り、3回戦唐津商(佐賀)戦では6-4で逆転勝ち。準々決勝ではエース水沢の好投で新潟南に6-0と完封勝利。勢いに乗っていたが、PLにはまともに戦って勝てるとは思っていなかった。

 長谷川 準決勝の前にビデオで研究しましたが、見れば見るほど強いなと。ただ、松山商戦では好投手相手に打ちあぐねている。打てない時は打てないんだ、と思いました。とにかくコールド負け、みじめな試合はしたくなかった。

 予想に反し、金足農はPLを苦しめた。初回にラッキーヒットが重なり1点先制。水沢は7回までわずか3安打しか打たれなかった。

 長谷川 うちが普通にやっても勝てない。ただ、バントやサインプレーなど今まで練習でやってきたことが集約したような試合だった。相手のグラブにかすってヒットになったり、ピッチャー強襲のゴロが左前打になったり、とにかく神がかっていた。野球の神様なんか信じないけど、あれは不思議な試合でした。

 それから20年以上がたち、金足農監督の嶋崎久美がユニホームを脱ぐ時にパーティーが行われた。桑田にサプライズビデオへの出演を頼むと、快諾してくれた。

 長谷川 (川崎市の)新百合ケ丘の自宅に招いてくれて、そこでメッセージをもらいました。あの時の試合のビデオを回して、思い出話に花を咲かせました。

 長谷川は青山学院大、ホンダ野球部でプレーし、10年からホンダの監督を務める。目指すのは監督として初の都市対抗日本一だ。

 長谷川 準決勝で負けた時に(嶋崎)監督がかっこいいことを言って。決勝を戦うはずだった後の1日を取り返すために、これからの人生を過ごしてくれ、と。

 あの戦いからつながる野球人生は、まだまだ終わらない。(敬称略)【高場泉穂】