プロ野球の投手がマウンドに上がるまでの過程は、ブルペン捕手抜きには成り立たない。投球練習で球を受け、調整を支える大事なパートナーだ。ロッテ1軍の味園博和ブルペン捕手(43)は、高いキャッチング技術の持ち主として知られる。(敬称略)

(2016年5月20日付紙面から)

ロッテの味園博和ブルペン捕手
ロッテの味園博和ブルペン捕手

 20年以上のキャリアを持つ審判が「私が見てきた中でもピカイチの技術です」と漏らした。今年2月、石垣キャンプのブルペン。味園は捕球の際にミットを流さず、確実に芯で受け止めていた。丁寧な所作は、ベテラン審判もうならせた。

 高い技術の根底には〝思いやり〟がある。ポリシーは「選手にマイナスは言わない」。質の悪い球が来たら、何も言わずにすぐ投げ返すことで嫌なイメージを消してあげる。反対に、良い球は捕球後もしばらく動かずに余韻を残す。細やかな気配りで、成瀬、涌井ら歴代エースが相棒に指名するまでになった。選手の相談相手にもなる。「コーチが言っていた」と味園の口から聞いた方が、選手も頭に入りやすい場合もある。首脳陣との橋渡し役だ。

 1日は長い。ナイター日は正午には球場入り。練習中はブルペンだけでなく、グラウンドでも投手のキャッチボール相手。試合中は登板に備える救援陣の球を受ける。スコアラーを兼任しており、試合後はその日の映像をチェック。球場を出る頃には、日付が替わっていることも珍しくない。

 チームに欠かせない存在だが、経歴は異色だ。ブルペン捕手は引退した元プロ選手が多い中、味園は選手としてのプロ経験がない。


黒田の元女房


 鹿児島実で甲子園4度出場。専大では1学年下の黒田(現広島)とバッテリーを組んだ。社会人野球のデュプロに進み都市対抗6度出場。ただ、プロ入りはかなわなかった。転機は08年春。都市対抗予選に敗れ、廃部が決まった。当時35歳。現役を続ける自信はあったが、若くない。移籍先が見つかるのか。すると、顔なじみのロッテのスカウトに「ブルペン捕手として来ないか」と誘われた。若手の面倒をよく見る献身的な姿を見られていた。

 迷った。引退してデュプロの社員として働く選択肢もあった。「野球人として、プロは最終目標」という思いはあったが、単年契約の厳しい社会。3児の父は返事ができないまま、秋を迎える。そんな時、メジャー1年目を終え帰国した黒田と再会。こう言われた。


 「ロッテに入って、プロ野球の指導者になればいいのではないでしょうか。メジャーでは、プロの選手経験がなくても指導者になる人がいます。味園さんが、日本のプロ野球を変えるきっかけになるのでは」

 指導者を目指してきた。それは、今も変わらない。ただ、以前は高校や大学で教えることしか考えていなかった。黒田の指摘は新鮮だった。「僕は野球の経歴はエリートだと思う。メンバーを外れたことがない。だから裏方的経験をすることが、指導者になる時に生きるのではと思ったんです」。ロッテ入りを決めた。

 ブルペン捕手になり、うれしかったことが2つあるという。1つは、昨季の涌井の最多勝。もう1つは、下克上で日本一になった10年のこと。西武に勝ち、CSファイナルステージ進出を決めた。ファンにあいさつを終えた選手たちはベンチへ下がったが、1人だけブルペンに走ってきた。抑えの小林宏之だった。「味園さん、ありがとう ! 」。心に染みた。

 今後を問われ、こう答えた。「当分はこの仕事を続けます。もう1回、ビールかけしたいですね」。選手の活躍を願い、今日も球を受ける。【古川真弥】

 広島黒田 大学の時から元気があって、キャッチングも良かったです。後押ししたつもりはないですが、そのポジションに入ったわけなので、道を極めてもらいたいですね。

 ロッテ松本球団本部長補佐(08年に入団を誘ったスカウト)「アマからプロの世界に来るケースはあまりない。彼が活躍することで道が広がればと思います」