東海大四(北海道)の4番小川孝平捕手(3年)が、攻守の要としてチームを盛り立てた。エース大沢志意也(3年)の女房役としては、好リードで粘投をサポート。打っては、これまでの6番から公式戦初の主軸に昇格し、4打席で1安打1死球2得点。「4番という打順に変わり、志意也を助けたかった。タイムリーじゃないけど後ろにつなげる4番として働けた」と大役を全うした。

 練習の成果を大舞台で出した。1点先制された直後の2回先頭、死球で出塁し、7番大沢の適時打で生還した。2-1の6回先頭も右前打で出塁、1死一、三塁から大沢がセーフティースクイズを狙った打球が三塁前に転がると、すかさず本塁を陥れた。貴重な3点目。大脇英徳監督(39)は「いつかやってみたいと思っていた作戦。ずっと練習してきた。まさかここで決められるとは」と満足顔だ。

 初めての4番は、前日30日に記録員の沢向裕太(3年)から「何となく耳にしていたが、冗談だと思っていた」(小川)。試合当日、トイレで“遭遇”した大脇監督に告げられた。気が引き締まったが、実は自信もあった。

 昨秋の明治神宮大会の浦和学院(埼玉)戦、江口奨理(3年)にチームは5安打に封じられたが、うち3安打を放っていた。甲子園でも準々決勝までの3試合で1安打ずつ記録。大脇監督は「調子は悪くない」と判断した上で「力と力では圧倒的にやられる。何か仕掛けたいなと思って」と、打順を入れ替えたがキーマンは小川だった。

 甲子園では、1試合ずつ大切に、丁寧に戦い、日本一まであと1勝にたどり着いた。その中で、1戦ごとに頼もしさを増す背番号2は「泥臭くてもいい。しっかり守って1点でも多く取って勝ちたい」。北海道勢初の紫紺の大旗獲りへ、決勝でもチームを引っ張る構えだ。【保坂果那】

<北海道勢の甲子園決勝>

 ◆63年春 春夏通じて道勢初の決勝進出を果たした北海は、下関商(山口)に0-10で敗れて準優勝。2度の逆転サヨナラ勝ちなど快進撃だったが、最後は9安打を放つも本塁が遠かった。

 ◆04年夏 駒大苫小牧が済美(愛媛)を13-10で下し、春夏通じて道勢初の甲子園制覇。5試合連続2ケタ安打となる20安打で、19安打の春優勝校に打ち勝った。

 ◆05年夏 駒大苫小牧が京都外大西(京都)に5-3で競り勝ち、57年ぶり史上6校目の夏連覇を達成した。リリーフした2年田中(現ヤンキース)が9回を3者連続三振で締めた。

 ◆06年夏 3年連続決勝進出の駒大苫小牧が再試合の末、エース斎藤(現日本ハム)を擁した早実(東京)に敗れ準優勝だった。延長15回引き分け再試合の翌日、9回に猛追したが3-4で惜敗だった。